Watchについて
2014-09-17 08:21
AppleがWatchを発表してようやく真剣に「腕につけるインタフェース」について考え始めるのが全うなApple原理主義者というものである。
正直に白状するが、私はあの発表をほぼリアルタイムでみていた(ストリーミングのウダウダはまあAppleだからしょうがない)そして
「なんだこれは。普通じゃないか」
と思って寝た。丸くもないし、なんだか分厚いし。まあ用途が思いついたら3代目くらいを買うかな。
しかしその後キーノートやらビデオを見返すにつれ「これが欲しい」と思っている自分に気がついてびっくりした。
そして「もし自分が持っていたら」と考えるようになった。そこで初めて気がついたのだがWatchとSmartphoneの一番大きな違いは、Watchは非使用かつ人の眼に触れている時間が圧倒的に長い、ということなのだな。
私のようにファッションというものに全く興味を持たない人間であってもそれがわかる。つまりつけて美しいことが絶対に必要なのだ。キーノートで示した美しい時計盤のアニメーションはそのために存在しているのだろう。
カーナビメーカーの奇妙な美的感覚については以前書いたことがある。つまり彼らは金をかけたダッシュボード、さらに金をかけたカーナビパネルの中にゴミのような画面を表示して何とも思わない人種だということ。しかしAppleはそうは考えなかった。
この製品が世の中にでたとき、人々がどんな使い方をするか楽しみだ。私にとって一番面白い結果は
「数々の機能は殆ど使われず、”美しい時計”として使われる」
というものだが。腕に美しい蝶がひらひら羽ばたきながら止まっている。私がつければ豚になんとやらだが、かっこいい人がつければ絵になるのではなかろうか?
こう書くと「いや、ウェアラブルをファッションという観点から語るのはもうやっている」といろいろな人がいうのかもしれない。しかしあれですよ。こだわりが違うのだと思う。バッテリの持ちを無視して、とにかく時計盤とその背後のアニメーションを表示し続けるアプリとかでないかなあ。節電のためにiPhoneとの通信機能すらOffにするような。