良い話二つ
2014-10-21 07:13
まず一つ目。自閉症児とApple製品のお話。
I realized this when he was 8, and I got him an iPod for his birthday. He listened to it only at home, with one exception. It always came with us on our visits to the Apple Store. Finally, I asked why. “So it can visit its friends,” he said.
引用元:How One Boy With Autism Became BFF With Apple’s Siri - NYTimes.com
適当な訳:彼が8歳になったとき、誕生日プレゼントにiPodを買ってあげた。彼はいつも家でしか聞かないがひとつだけ例外があった。Appleストアに行くときはいつも持って行ったのだ。
なぜ?と聞いた時彼はこう答えた
「iPodが友達に会えるように」
さて、もう一つ。3姉妹を一人で育てることになった母がある日を境に音楽に合わせて踊り狂うようになったのだそうな。
「ママが楽しいと思えることなんてこれだけなのよ」と言いながら、踊り狂う母の姿を目の端で捉えながら「シュールだなぁ…」と食卓に並んだ夕食にもそもそと箸をすすめた。
著者の妹さんたちは泣いて母が踊るのをいやがっていたのだそうな。しかし娘たちが全員独立した今、妹さんたちは「もっと自由に踊って貰えばよかった」と言っているとのこと。
飼い猫に変な名前をつけるのも、娘そっちのけで男子を追いかけ回して写真を撮りまくるのも、狂ったように踊りまくるのも、全部母親の「狂気の発露」だったんだ。
もちろん「満たされない思いを、踊り狂うことで発散させていた」だけではない。そんなちんけな話じゃないよね、母が踊り狂う時のあの光悦の表情を忘れない。
複雑な思いがからみあい派生し、その追求は苦しくも甘美。
「狂気」とはきっとそういうものだ。
最近よく思う。
自分の中に狂気を持っていること、それはとても強く美しいことなのだと。
平凡とか非凡とかの話ではない。
変えようとしても変えられない。
誰もが内側に秘めている、「その人たらしめている理由」。
最近になってようやく自覚したことだが、「心穏やかに暮らす」というのは「自分の中の狂気と折り合いをつけていく」ことなのだな。狂気はどこまで行っても狂気なので、それだけでは生きていくことはできない。しかし自分の中で
「論理的に頭の良い子」
が偉そうなことを言い出すとこの狂気が暴れだす。言葉で何が問題かは言ってくれないが、とにかくいろいろな内面の問題が起こる。
今の一つ前の会社で、今より給料がよく、面白い人たちがたくさんいる職場でなぜああも私が幸せでなかったか。いろいろなことを考えるとそれが自分の中の狂気が何かを言おうとしていたことに気がつく。
さて、どうやって折り合いをつけていこうか。