横暴さが必要とされるとき

2014-10-20 08:11

エボラ感染の記事を読むたび、私が普段気にもとめていない「社会の秩序」がいかに危ういものであるかを再認識する。エボラは欧米が作り出した虚構だ!と叫ぶ人間がいる国と、日本国の距離はそう遠くないのではないかと思うことがある。

民主主義というのはデリケートなフィクションである、とはどこかで読んだ言葉だ。それはフィクションなので、時として「横暴な力」が必要とされるときがある。そしておそらく現在のAppleはそれなのだと思う。

GT Advanced Technologies が米連邦裁判所に提出した破産申請から、アップルが秘密漏洩に対して 5000 万ドルの罰金を課していることが明らかになっている。アップルの未発表製品に関する情報はいかなるものであれリークされた場合は「1件につき」 5000 万ドルを課するというものだ。

引用元:厳しく縛られるアップルのサプライヤー | maclalala2

おそらくAppleと商売で関わる企業の多くはこうした「横暴さ」にさらされていることだろう。それについて語ること自体、破産した時でなければできないのではなかろうか。

さて

とはいえこうした「横暴さ」が必要とされる場面は確かに存在する。その一つが「別の横暴さを正す」場合だ。思えば携帯電話のキャリアというのもその横暴さの塊のような存在だった。以前のWillcomの担当者と話したときの「浮世離れした感覚」は今でも鮮明に覚えている。あとDocomoの「根底から相手を見下した態度」とかね。

特にそのDocomoにとって、iPhoneを扱わざるを得ない、というのはどれだけの屈辱だったのだろう。親方日の丸電電公社の末裔、日本での圧倒的な力。それをもってしてAppleの(おそらくは)屈辱的な契約にサインをしなければならない時、彼らがどんな顔をしたのか見られなかったのは残念だ。

しかしその「横暴さ」はそこでは止まらない。このニュースはおそらく携帯電話キャリア各社に激震を走らせたにちがいない。

Apple SIMとは、携帯電話網に接続するために必要なSIMカードを半仮想化したものだ。物理的なSIMカードがスロットに挿入さるが、実際にどの携帯電話事業者を用いて通信するかは、iPadの画面上で利用者が選択できる。

 米国でAT&T、Sprint、T-mobileの3社、英国の1社から携帯電話事業者を選んで、契約期間や料金プランを選んでiPadの画面上で契約できるようだ。日本の携帯電話事業者は、現時点でApple SIMに対応していないが、可能性としては世界中の全キャリアとつながっていく可能性がある。新しいiPadが1モデルで世界中のLTEバンドにに対応できることも、Apple SIMの可能性を広げている。

引用元:新iPadの目玉、「Apple SIM」の破壊力 (東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース BUSINESS

MNPが画面上のすいすい、で完結。もちろん「2年縛り、一ヶ月だけ変更可能」とかで縛ろうとするだろうがはたしてそれはどこまで有効なのか。

「ほう。何か問題がある、と。では残念ながら御社にはiPhone売りません」

と言われた時携帯電話キャリアはどんな顔をするのだろうか。NTTに存在しているであろう「空想的反Apple派」は「ほら、だから言ったじゃないか」といい、「現実主義者」は渋面でギリギリ奥歯を噛みしめる。いや楽しい。