日本シリーズ

2014-11-04 07:23

昭和30〜40年代生まれの人であれば

「小学校で、先生が授業を中断しこっそり日本シリーズをテレビでみせてくれた」

という話を聞き

「なるほど、そういうこともあったかもしれない」

と思うだろう。それくらい日本シリーズは、そしてプロ野球というのは日本人の生活の一部であったのだ。

そんなことを思い出しながら先日小学校5年と3年の子供達と話をした。

「君たち先週日本シリーズがあったのを知っている?」

「言葉だけは知っている」

「そもそも野球のルール知ってる?」

「知ってる。とにかく打って走ればいいんでしょ?」

もはや今の小学生は野球のルールすら知らない。その彼らと彼女たちが野球放送に興味を持つことなどまずありえないだろう。

遅かれ早かれプロ野球はプロレスのような存在になる。散々指摘されていることだが、かつてゴールデンタイムにプロレスが放映されていたことなど今からは想像もつかない。しかしまだプロレスには救いがある。ルールが単純だからだ。ふと目にして「あら面白い」ということもあるだろう。しかし野球はそうはいかない。おそらく今の子供達にとってはビリヤードのような存在なのではないか。なんか玉を棒でつついているのはわかるが、どうやって点がはいっているのかさっぱりわからん。

この凋落の歴史というのは、研究に価するものだと思う。やれクライマックスシリーズが悪いとか、やれ良い選手は大リーグに行ってしまうとか、そもそもスポーツへの興味が分散しているのだ、と個別の説明はつけられるが、この変化には驚くばかりである。日本人の生活の一部分であったものが音も立てずに消えようとしている。

そして一世を風靡したものが滅びるとき、その滅び方は様々だ。目下の関心はいつTVが野球を「その他のスポーツ」扱いするようになるのか。そして年棒が事業規模に見合った水準になるのか、だが。これらはいずれも日本の組織特有の「一朝一夕には何も変わりません」を体現しているように思える。