デザイン方法論

2014-12-25 07:04

やれデザイン思考?指向?やらなんたらメソッドやら方法論を声高に語る人は後を絶たない。いつも思うのだが

「そんなに声高に語るより、結果見せろよ」

すごい結果をみせて感心させた後で「実はこんな方法をつかったんです」といったほうがはるかに説得力があると思うのだが。

そういう「方法論原理主義者」には気の毒なことだが、例えばAppleとか実際にすごい製品を生み出している人たちはそうした方法論を支持してくれない。私は「方法論原理主義者」ではないので、現実的なところから話を始めよう。

でもジャンプっていうのは非常に難しくて、どこで見つけるかっていう質問だったんですけど、それはすごく難しくて、いろんなところに隠れているんですよ。

僕は「うまく待つ」って言っているんですけど、そういうものを見出す自分でいるように、うまく待っている。見過ごさないように。当たり前だと思っていることが実は当たり前じゃない、ということがとってもあるんですよね。

それと、これは鍛錬なのかもしれないですけど、いろんな場合の数、無数の場合の数を頭の中でやる訓練というか。全部「この場合、この場合、この場合……」全部「つまんない、つまんない、つまんない……」って頭の中でガシガシやっているうちに、セレンディピティというんですかね、たまたま何かのものが見えたりしたときに、それがガーンと来るジャンプの映像だったりしますね。

だからやっぱり「うまく待つ」ということと、「ものすごく追求する」ということだと思いますね。

引用元:新しいものは"つくり方"から生まれる--「ピタゴラスイッチ」生みの親・佐藤雅彦氏インタビュー | ログミー[o_O]

「天才」という言葉が似合う人は稀に存在する。その「稀」の一人が佐藤氏だと思う。彼は上手なブレストのやり方を解いたりしない。私は「独創的なアイディアは一人の頭からしか生まれない」という仮説を持っている。彼は頭の中で無数の組み合わせを試し、そこから「ジャンプ」を見出している。頭の中で組み合わせを試す。日常何気ないところからヒントをえる。これは時間がかかるプロセスであり、会議室で

「さあ、ブレストをしましょう」

ででてくるものではない。

――作品を作るときに一番大事にしていることは何ですか?

佐藤:先ほど言ったように、本当の答えっていうのは、そこまで行く道がない、橋がないんですよ。頭のいい人は「こうだからこう、こうだからこうで済むじゃないか」という風に、通り一遍の解決っていうのは、今の世の中にいくつかあると思うんですね。

ところがそれはそんなに解決になっていない場合が多くて、表現の場合はそれは一言で「つまらない」とか言われてしまって、おしまいになることがあるんですね、一生懸命作っても。

引用元:新しいものは"つくり方"から生まれる--「ピタゴラスイッチ」生みの親・佐藤雅彦氏インタビュー | ログミー[o_O]

前にデンソーの子会社で働いた時のこと。デンソー社内の人向けに展示会をやった。「これはなぜ必要なのですか?」と問われ「必要だからです」と答えた。すると相手は顔を見合わせ

「それでは通りません。必要性を合理的に説明できないと」

とさも自分が「正しさ」の番人であるかのように言った。実際それはデンソーの正しさではあるに違いなかった。彼らは「合理的に退屈な製品を作る」ことで利益を上げている企業であるから。つまり彼らは「通り一遍の解決」を行うエキスパートなのである。それはそれで素晴らしいことだが、私が聞きたいのはそんなことではない。

いくら理屈が通っていようとつまらんものはつまらん。面白いものは面白い。それをいう勇気がなければゴミが量産されるだけ。

ですから、子どもたちにはそこを体験させたいですね。間違ってもうわべだけ、あるいは人との関係だけで成立するような人間にはなってほしくなくて。だからズバッと、本当におもしろい番組とか表現をやりたいな、と思っているんです。

引用元:新しいものは"つくり方"から生まれる--「ピタゴラスイッチ」生みの親・佐藤雅彦氏インタビュー | ログミー[o_O]

ここのところはかつて佐藤氏が所属した慶応SFCへの皮肉とも受け取れる。うわべだけ取り繕うAO入試を突破すれば入学できる!

などと自分が関係のない大学についてあれこれ言っている場合ではない。調べてみれば佐藤氏は60歳。しかしインタビュー映像を見る限りどう考えても私より年上には見えない。そう、他人のことをあれこれ言っている場合ではないのだ。