インタラクション2015に感じた曲がり角感

2015-03-09 08:07

インタラクションというカンファレンスがある。その名の通り人間とコンピュータがあれこれやることに関して研究発表やらデモが行われるイベントだ。2011年にはこれの開催中に震災が起こったりしたのだが、それは今日書くことに関係はない。

ここ数年デモ発表は査読なしで行われている。つまり公序良俗に反しない限り誰でも発表できる。去年までは「確かに質のばらつきはでるがこちらのほうが面白い」と思っていた。しかし今年参加してその方向性に行き詰まりが見えているように思い出した。

1.まずそもそも発表をしていないブースがいくつもあった。もちろん申し込み後に何か事情があってキャンセルすることもあるだろう。しかし今年は空きブースが妙に多かったし、かつたとえば

「開始時間後に、なにやら人がいたのはわかっているが、10分後に行ってみたら何もなかった」

「開始時間にポスターがおりたたまれて机の上に置かれたままになっていた」

「開始10分たっても誰も説明場所にいなかった」

などの例が目についた。この人たちは何をしに来たのだろうか?

2.私は人ごみが苦手なので、必然的に空いている展示を見ることになる。それゆえ例年賞をとるような人気の展示は見たことがない。だからいつも「人気がない展示」を見ていることは自覚している。

しかし今年はそうした事情を自覚した上でも「リアクションに困る」展示がいくつもあった。これは一体何が面白いと思って作ったんでしょうか?意見に賛成できるとか反対だというレベルにも達しておらず、「とにかく作ったのでもってきました」があまりにも多かった。ある人のTwitterを引用する。

インタラクション2015のインタラクティブ発表を見ての感想。厳しい言い方だけど「作った」「何か凄いのできた」だけなら Maker Faire とかニコニコ方面のほうがよくね? 「学術」の場だったら、「過去の知見」を踏まえた議論とかその真価とは何かの議論がないと。

引用元:綾塚 祐二さんはTwitterを使っています

この意見に全面的に賛成である。

3.登壇発表は査読されているから、応募したものの半分に絞っているはずだ。これはおそらく質がどうのというよりインタラクションというカンファレンスがどういうスタンスかという問題なのだと思う。

特に二日目午前中のセッションに顕著だったが

「動くテーブル作りました。テーブルが動くと使っている人はどう感じるか評価しました!」

という研究が発表された。それに私はこう書いた。

で結局何が面白いんだ?

引用元:Goro otsuboさんはTwitterを使っています: "で結局何が面白いんだ? #i2015"

そもそも動くテーブルを何に使うのか?なぜ動くといいのか?私は「こんな素晴らしいデバイス作りました!みなさん使い道を考えてください」を目の敵にしている。その私にとってこの研究は「そもそもなぜテーブルを動かすのか」について何も言っていないと感じたのだ。

それに対しては「机が動くから面白い」的な発言が続いた。つまり「何がおもしろいか」は論文の中で提示する必要はなく、とにかく見た人が「こんなことができそうだ」と思えればいいらしい。

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何事もそうだが、あるルールのもとで競わせるようにすると、必ずそのルールに最適化された方法が発達する。ある人のTweetを引用する。

インタラクティブ発表に賞があるからこそ良い部分もあるけど,賞をとるために体験者を捌くことに専念したり,インパクト重視だったり,いいところだけ見せて悪いところを一生懸命隠して本質的な議論を避けようとしているのとか見えるところがあって,悩ましいなとか思ったりした.

引用元:Satoshi NakamuraさんはTwitterを使っています:"

というわけで、今年はいろいろな問題が明らかになったインタラクションだったように思う。まあしかしあれだよね。私はその気になれば自分が作ったものを発表できる立場にあるんだから、文句があれば自分で論文書いたりデモしたりしろ、ということだよね。

しかし仮にデモ発表するにしても、「賞をとるために体験者を捌く」のはやめようとおもう。というかそういう「最適化」を考えたこともなかったので正直驚いている。