一つのパターン
2015-08-10 07:03
実写版進撃の巨人が公開されしばらくたった。その間に起こったことが非常に興味深かった。まずこの映画自体私は見ていないが、あれこれの評価を総合して、以下の文章が最も的確に状況を表していると想定した。
『進撃の巨人』の大成功を受け、実写映画化という賭けに出た日本の映画業界。いや、今回の場合は「賭け」というよりも「略奪」という言葉の方が合っているのかもしれない。
映画化にあたりクオリティを上げるための改変は仕方ないと思う。しかし本作で目立った原作無視はむしろ改悪でしかなかったのだ。本作は『進撃の巨人』映画としても成り立っていないし、一本の映画としてすら成り立っていなかった。
映画冒頭のメロドラマ風なシーンは痛すぎた。俳優たちの演技は酷く、セリフは陳腐。なぜここで立ち上がり映画館を後にしなかったのか、私はこの後ずっと考えることになったほどだ。引用元:実写映画『進撃の巨人』に海外からも大ブーイング!「何もかも薄っぺらで痛すぎる。一本の映画としてすら成り立ってない」 : ユルクヤル、外国人から見た世界
こうした「評価」にたいして、この映画の関係者が何をしたか。脚本を書いたのは評論家と「プロの脚本家」である。まず評論家は、自分のTwitterで「絶賛コメント」だけをひたすらリツィートした。つまり自分のまわりに「壁」を構築したのだ。
もう一人の脚本家も似たようなことをした。しかしより不思議なのは彼の「これまでの業績」である。なぜここまで「定評がある」人間が脚本を書き続けられるのか。これは想像でしかないのだが、「観客」を除けば彼は非常に「良い人」なのだろう。利害関係者の意図をうまく一本の脚本にまとめる。口を出したい人は「をを、私の意見がちゃんと取り入れられている」と満足する。結果はゴミであっても。おそらくこれは日本の家電メーカーがゴミのような商品を作り続ける図式とどこか重なることがあるに違いない。
さて、この映画に関わってはいないそうだが、おそらく「関係者のお友達」がこうTwittterで述べている。
西村の大将や井口くんほど、どろどろのゲロの海みたいなわが美しい国ニッポンの映画制作環境の中で諦めずに戦い続けてきたクリエーターはいないよ。この国で何かを創作し続けることのジゴクがどれ程恐ろしくて酷いかを知らないやつらが四の五の抜かしてんじゃねえよ全く(^-^)
全く確証なしにいうが、これが日本の映画村の本音なのだと思う。誰が映画のできに責任をもっているのかわからない。しかし口を出す人だけはたくさんいる。それを「うまくまとめる人間」は重用され、「俺たちはすごい仕事をした!」と自らが流した汗の量を測り満足感に浸る。結果はゴミである。いわば帝国陸軍もこうした図式ではなかったか。誰が作戦の成否に責任をもっているのかわからない。レイテ決戦を「元帥は命令する」と強行した寺内は、その戦いが負けになった後も責任をとったわけではない。
こうした「結果を外部から見れば気が狂っているとしか思えない」決定は何も映画や戦争だけに限られるものではない。Yahooのレビューに投稿されたこの文章に何も付け加えるものはない。
たしかに海外に比較し、予算は足りないかもしれない。しかし国内レベルでは相当な金額を投入された筈である。要するに日本の映画製作陣は、その使い方を知らない無能者の集団である。それは反感止まないオリンピックという政治主導・役所主導の大イベントにそのまま充てはまる。
石田純一氏の娘さんである「すみれ」さんが、アメリカでの映画撮影に衝撃を受けたというニュースを聞いた。『スタッフ・キャスト共に命がけだった』という。果たして、日本の映画人に、「命をかける」ほどの人材がいるのだろうか。無論、本人達にはその「つもり」。
北野たけし監督の邦画業界への苦言も新しい。日本の実写界は才能関係なく、失敗しても明日があると思っている。よく日本映画は『二時間テレビ』で十分という言われ方をする。この二時間ドラマ枠は日本独特なスタイルである。海外ではない。一時間内で、次を見せたいように、工夫する「連続ドラマ」が基本だ。そのため、日本の俳優やスタッフは、二時間ドラマの延長線上で、二時間の映画を撮る。そこに矜持(ほこり)なんて存在し得ない。ただ、大スクリーンで映る自分の姿に、「格上」という、勘違いのプライドを持たせるだけだ。引用元:日本国実写の将来像 - ユーザーレビュー - 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN - 作品 - Yahoo!映画