いつも心に微笑みを
2015-09-18 07:01
年をとって体が弱ってくると実感するが、絶望とか不満をたらたら述べる、というのは若者の特権なのだな。体と心が疲弊していく。若者ならそれに耐えられるが、年寄りには無理だ。
とはいっても理不尽な世の中に憤りの気持ちが湧くこともある。そういうときは一歩引いて笑いに転換することを試みるべきだ、と頭ではわかっているのだがなかなかこれは難しい。とはいえ世の中にはいくつか見習うべきものがある。
「進撃の巨人」が実写化された。新春隠し芸大会にしか見えない予告編をみただけでげんなりしてしまった。もちろんみないのだが、映画評論を生業としている人はそういかない場合もある。「日本の評論家の掟」に身も心も捧げられる人は幸いだ。どんなに自分の心と違うことを書いても、「これは日本で映画評論をやるためには必要だ」と割り切れるから。問題はそこまで割り切っていない人。ゴミ映画をどう書けばよいのか?
ao8l22 すごい!全く褒めてない!!
elephantskinhead 誰が一番面白い罵倒をできるかという風潮
toshi20 心臓を捧げよ!→心境を察せよ!(レビュアーの)
houyhnhm レビューが立体機動やってるような感じが、お仕事大変という感じで見ていて辛い。
引用元:はてなブックマーク - 「心臓を捧げよ!」実写版「進撃の巨人」後編に制作陣のギリギリの覚悟を見てしまった - エキレビ!(1/3)
これは進撃の巨人後編に関して書かれたある映画評についたコメントである。読解力のない人はそういうコメントをつけるがちゃんと読めばこれが「婉曲なゴミ映画という罵倒」であることに気がつく。
結果はゴミであっても、その背景を察する(妄想する)ことであるいはなんらかの笑いを見出すことができるかもしれない。
邦画の限られたリソース、原作とは違うオリジナルの結末など、調査兵団なみに報われない任務。その中で「せめて観客の心に傷を残す」スタッフの意地を堪能してはいかがでしょう。
これは一つの手法として覚えておこう。