現実をみるところから始めませんか
2015-09-09 07:31
現実から目を反らすのは楽しい。お兄ちゃんにはかなわないけど、僕は仮面ライダーだ、と現実逃避するのは幼児がやることだが、大人にとってもこれはとても楽しいことである。
さてもうこれで何作目かもわからないがSteve Jobsの映画の試写が行われたらしい。
The top tier critics won’t comment on the Telluride screening of Universal Pictures’ “Steve Jobs.” They’ll hold their reviews for the week when their readership’s interest is highest, just before the film’s Oct. 9 nationwide release.
引用元:Apple: The first reviews of Aaron Sorkin's 'Steve Jobs' - Fortune
「前」評判がすこぶるいいらしい。日本でいつ公開されるかもわからないが期待が高まるというものだ。
しかしまだ「一流批評家」は自分たちのレビューを発表していない。それは日本のように
「気に入らない映画を批判するのは自由のはずだ」と思うだろうけど、オイラも、菊地さんの酷評が公開日の4月17日以降に発表されたのなら、別に黙ってました よ。でも、菊地さんは公開の一週間以上前に1万6千字も使って徹底的に叩いたでしょ。試写かDVDで配給会社に見せてもらったから。
というのは、劇場公開が決まっている映画をメディアで酷評する際、それを発表するのは公開日当日以降、理想的には公開最初の週末以降、という暗黙のルールみたいなものがあるんですよ。映画批評で食ってる人の世界には。
(中略)
そのルールにはいくつかの理由があるけど、まず、単純に試写などでタダで見せてもらいながら公開前に酷評して興行に悪影響及ぼすのは仁義にもとるからというのがひとつ。
それに、映画を批評する人たちは、好きじゃない映画を批判したくても、映画がコケることを望んでいるわけじゃないから。観客の邪魔をするのは望んでないから。映画の内容は配給や宣伝の人たちの責任ではないから、彼らに迷惑かけたくないから。映画観客が減り、映画業界が衰退するのは望んでいないから。
という理由ではない。公開「前」一週間にもっとも注目が高まるときに発表するのだそうな。太平洋の向こう側では。
わが国においてゴミ映画を公開前に「ゴミ映画」と言うことは
「仁義にもとる行為であり、観客を邪魔することであり、配給や宣伝する人に迷惑をかける行為であり、映画産業を衰退させる行為」
なのだそうな。
ゴミ映画では金が儲からないようにし、よい映画に観客がはいるようにしたほうが長い目で見て映画産業の隆盛に寄与すると思うのだが、わが国ではそう言うとおそらくつまはじきに合うのだろう。
こういうメンタリティは今の東芝やソニーと相通づるものがあると思う。ソニーはダメになった、東芝は嘘をついてばかりいる。内部でこう言えば
「いつも後ろ向きな発言しかしない」
と糾弾されることだろう。それでこそこうした組織は平和に存続できる。しばらくの間は。現実から目をそらし「和を持って尊しとなし」摩擦が起こらない判断ばかりしていると、結果として組織は衰退する。今朝見かけた文章だが
困難だが正しい決断をするたびに、人は少しずつ勇気を得る。逆に安易な間違った決断をするたびに、人は少しずつ臆病になっていく。
粉飾を続けるのも、死に体の会社を「イノベーションを起こしている」といいはることも、周りの人たちを気遣って「ゴミ映画を賞賛する」こともすべては「容易な間違った判断」ではないのだろうか。