無知のススメ
2016-01-29 07:00
ダライ・ラマはこう言った。
本当の幸せとは、心の平安である。心の平安には、外面的な要素は役に立たない。私たちの基本的 な姿勢、つまり外の世界とどのように関わっていくかを考えることが、心の平安を得る上で一番重 要である。
年をとるにつれこの言葉に共感できる。しかしダライラマがこう語るのには理由があり、それはこれ以外の「幸福になる方法」が蔓延しているからでもある。
その一つに「無知で居続ける」というものがある。何か「うわ」と思ったものに出会った時、それについて調べたり過去にどういう例があったか、そもそも自分は何に驚いたのか、を調べたり考えたりすることなく、「これはすごい!大変だ!」と喚き続ける態度である。どうもこれは簡単に幸せになる一つの方法らしい。
先日コンピュータが碁のプロに買ったのだそうな。はてなブックマークからいくつか引用してみよう。
将棋での勝利から、わずか数年でもう囲碁でも勝つとは。。シンギュラリティは2045年よりも近いのでは?
これは本当に衝撃で、新聞の一面扱いでもおかしくないクラス!!!なのに……一面の片隅にあるのは日経のみとは…
面白いのは、このニュースに沸き立っているのが「中途半端に情報系を齧った人間」ばかり、という点だ。チェスでコンピュータが買った時にはもっと一般受けしたのだろうが、全く興味の無い人は「え?コンピュータ賢いから勝てないんでしょ?チェスはもう勝てないっていうし」でおしまい。そこに「いや、碁はね、組み合わせの数が」とか中途半端な知識を振り回す人間でなければこのニュースに幸福を見いだしがたい。
そして
このニュースを聞いて「シンギュラリティがどうの」とうれしそうに語る人の姿をみていると、戦争が起こるたび
「本当の情報を知る」
よりも
「頭の中にある間違った軍事知識をしゃべるのに忙しい」
人たちの姿を思い出す。これも一つの幸福になるやり方だ。
先日気がついたのだが、疑似科学を唱える人にも同じ傾向がある。自分が唱えている理論と同じ分野にはどういう理論があり、それがどのように検証されてきたか、とかは絶対に勉強しない。それゆえいつまでもおなじところに立ち止まって自説を主張し幸福感に浸ることができる。
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と簡単に幸福になりたい人ばかりではないだろうから、一つだけ書いておく。先日某研究会で人工知能関連の研究者が集まったパネルディスカッションがあった。最後の質問タイムである人がこう問いかけた。
「ディープラーニングがどうのといったところで、結局認識精度が少し上がったということにすぎない。どういう意義、社会的インパクトがあると思うか?」
一人はいかにも政府に受けそうなことをペラペラと喋った。なんでも自然界の状況を認識、識別できるようになるから第一次産業に寄与するんだそうな。それはすごいですね。ところでその第一次産業に寄与するすごいロボットはあなたが作ってくれるんですか?そんなのは簡単な人工知能の応用問題ですか?
あとの人はみな「ごにょごにょ」と述べた。
「いや、これは従来にない画期的な進歩でシンギュラリティが」
とかは誰も述べなかった。私はこう書いておく。
「ゾウは碁を打たない」