Shut up and Smile

2016-02-05 07:02

私が海外で暮らしたのは2年10ヶ月に過ぎない。そして今後は海外で暮らすこともないだろう。

であれば、日本の流儀に従って生きるのが一番良い。ローマに行けばローマ人のように振る舞うのは古今東西の真理である。先日こんな文章を見た。

欧米人自身は、多くの場合そのことに無意識ながら、彼らが空気を読む人を評価しないのは、本質的には実はそれが弁証法的な批判精神を欠くからなのです。なぜって弁証法的な史観に立てば、批判と対立なしには人類の発展はストップしてしまうのですから。

引用元:「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 - piano-treeの日記

私の経験した範囲では、日本で働いているのと米国で働くのとそれほど大きなギャップを感じたわけではない。しかし日本でサラリーマンを長くやるにつれ少なくとも日本では

「黙ってニコニコしている」

のが一番正しい姿勢だと確信している。

他人への批判、批判と受け取られないような意見の表明は絶対に避けなければならない。ネガティブは絶対に忌避すべきであり、現実がネガティブな時はそれを知ってはならないし、知っても口にするのは忌避されるべき態度。学校で試験の答案を目の前にすれば、正しい答えを導き出すことが正義だが、会社ではそれは危険な行為である。仮に正しい答えを導き出したとしても、黙ってニコニコしているべきだ。そうであってこそ場の雰囲気を読む正しいサラリーマンと言える。嘘だと思うなら東芝の社員に聞いてごらん。

「こんな馬鹿な決算をするなんて!」

と「正しい」ことを言った人はとうの昔に粛清されているはずだ。

思うに

理由はよくわからないが、日本では個人が持つ意見と、個人が一体化しているのだと思う。少し前にも書いたが、人と一体化した意見に反論するのは敬虔なイスラム教徒に向かってコーランを批判するようなものである。それゆえ建設的な議論、といったことが行われにくい。

なぜ、いわゆる「空気を読む」人を評価しないのか?と欧米人に聞くと、おそらく多くの人はなぜだろう、としばらく考え、「それは自分の意見を持っていないことを意味するからだ」というようなことを答えるでしょう。

引用元:「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由 - piano-treeの日記

日本に長くいる私は、この文章を読むと

「自分の意見を持つことは危険だ」

と反射的に身構える。仮に自分の頭の中に意見が出来てしまったときは、それを周囲に知られないように全力を尽くすべきだ。なぜ私はこう考えるようになったのだろうね、というと長い話になるのだが。