AlphaGoが打ち倒したもの
2016-03-14 07:04
碁のことは全く知らない。しかしいろいろな反応から学ぶことがいくつもある。
これまでの常識では説明できない手を、アルファ碁はその後も頻繁に駆使した。中盤形勢の不利を感知した李九段が上辺に果敢に攻め入った時はこれに対応せず無関心なように左辺を着手した。序盤・中盤の捨て石に近い石をあえて生かして中央側に引っ張っていった時はアマチュアのように見えた。
高段者のトーレードマークである後味(局面を決定せず余韻を残して後続手段を狙うこと)もなかった。時には自ら失敗を招くような手も躊躇しなかった。部分戦闘が広がるたびに勝戦譜を上げたのは常に李九段だったが、霧が晴れた後の局面を確認してみれば、バランスをとっていたりこまかいながらもアルファ碁の優勢だった。狐につままれたようだ。引用元:<囲碁:人間vs人工知能>神秘の領域、中央の「厚み」・・・アルファ碁は計算した | Joongang Ilbo | 中央日報
第3戦の囲碁将棋チャンネルを見ていた。驚いたのは解説者が多用する「意味のわからない感覚的な言葉」の羅列だった。
「味がある」「厚み」
あれこれ調べてみるとどうもこういうことらしい。囲碁というのは人間の思考能力を超えたところにあるゲームらしい。それゆえ人間は何千年たってもその制約範囲での「戦術」しか行うことができない。計算を超えたところは感覚的な言葉で誤魔化す。
ところがAlphaGoはそこをきちんと考慮に入れた上で手を打ってくる。その結果が
「研修生の時期にこのような手を駆使していたら直ちにひどい目にあっていた」
引用元:<囲碁:人間vs人工知能>神秘の領域、中央の「厚み」・・・アルファ碁は計算した | Joongang Ilbo | 中央日報
つまり人間は「局所最適解」をつつきまわし、それで「指導」をしていたわけだ。
今回AlphaGoはそれとは全く違う「最適解」を示した。つまり今まで偉そうに「味がどうの、厚みがどうの」と言っていた先生たちはみんな間違っていたわけだ。
振り返れば
碁のようにきちんと定式化されており、その優劣が客観的に決められる問題ですらそうなのだから、他の分野でどれだけ「囲碁の先生」と同じくらい馬鹿げた「指導」が横行しているかは想像するだに楽しい。
「おっ良い手、うん、これも良い手、さすが機械、隙がないですね。強かった!」みたいなのを期待してたんだけど、どうやら人類はそれほど賢くなかったっぽい。
引用元:ぱろすけさんはTwitterを使っています: "「おっ良い手、うん、これも良い手、さすが機械、隙がないですね。強かった!」みたいなのを期待してたんだけど、どうやら人類はそれほど賢くなかったっぽい。"
つまりこれは囲碁界に訪れた「黒船」なのだ。下にー下にとか言っている場合ではない。いや、これは楽しい。これから囲碁がコンピュータを使ってより興味深いゲームになることを期待したい。
ちなみに
私は囲碁より将棋に興味を持っている。将棋はおそらくもうコンピュータに人間は勝てない。
しかし
タイトル戦とか見ていると、そんなことどうでもいいではないかと言いたくなる。人と人とのぶつかり合い。人ゆえミスもあり、「怒り」のこもった「暴れる手」があり。それが面白いのだ。そもそも「勝つこと」だけで金が取れる商売ではない。「面白い見世物」に皆が金を払うことで成り立っている世界なのだ。
つまり
囲碁もコンピュータに人間のチャンピョンが負けることなど気にする必要はない。このエピソードにはポジティブな要素しかない。
ちなみに
シンギュラリティが如何の斯うのと言っている勉強不足の若者たち(これは「馬鹿」の婉曲な表現である)には
「象は碁を打たない」
で検索することをお勧めする。そんな議論は何十年も前に散々なされているのだ。そうでなければ以下の文について少し考えると良い。
人工知能の究極の目標は言うまでもなく、汎用性のある学習AIを作ることだ。多面的なインテリジェンスを適用して、さまざまな種類の問題を解けること。そしてHassabis自身も認めるように、今の単一目的のAIマシンですら、オフボードゲームの世界の混沌とした複雑性において勝利を獲得することからは、まだまだはるかに、遠い位置にいるのだ。
人間が行う仕事は、一見単純なものですら、…たとえば部屋を片付けるようなことでも…、そこに存在する変数の数は、もっとも高度なマシンインテリジェンスですら愚鈍に見えるほどに、膨大なのだ。だからわれわれ人間は、囲碁に負けたぐらいで落ち込む必要はない。引用元:DeepMindのAIに負けた囲碁の世界チャンピオンが最終戦直前のゲームで勝利…AlphaGoを上回る妙手で | TechCrunch Japan