Pixarの復活
2016-03-25 06:58
私が「キャンセルになるだろう」と間違って予想したインサイド・ヘッドの成功。それにアーロと恐竜のまずまずの成績をみればPixarは復活したのかもしれない、と思うことができる。何よりもうれしいのは、この復活によって「低迷の背景にあったもの」が少しだけ明らかになり始めていることだ。
しかし3年の制作期間を経て、公開予定の14年5月まであと数カ月となった時点で、作品は迷走していた。「複雑になってしまったんだ」とラセターは言う。「よく起こることさ。入り組んだ思考に足を取られてしまって、パーソナリティやキャラクター、感情といった部分に時間を割けなくなる」。さらに悪いことに、制作チームは自信を失ってしまっていた。
このくだりでもっとも興味を惹かれるのは「ではどうして3年もの間、誰も再起動をかけなかったのか」である。もっと言えば、この作品の前カーズ2、モンスターズユニバーシティ、それにメリダとおそろしの森、とPixarは3作続けてひどい作品を公開してしまっている。
それと反比例するようにディズニー本体はアナ雪、ベイマックス、それにズートピアと素晴らしい成功を重ねている。そこには裏になんらかの事情があるはずなのだ。「普通」に考えればPixarの優秀な人間を根こそぎDisneyに移動させ、ラセターもPixarに関わらなくなった、というものだがこれは憶測に過ぎない。
アーロと少年の映画評はこちらを見てもらうとして、おもしろいのは-これはメリダと恐ろしの森でもあったことだが-再起動前の断片が見えることだ。メリダでは女の子がやたら高い崖のようなところを登って花を取りにいくシーンがそれだと思う。重要なシーンのように思えるが映画の中ではほとんど意味を持っていない。アーロではツノの上にやたらと「アシスタント」をのせているトリケラトプスの親戚がそれにあたるのだろう。彼もやたら時間をとって登場した割には、ストーリーになんの関係もない。
メリダが再起動後もひどい作品であったのとは違い、アーロはそれなりに見られる作品になってはいた。しかし5年の歳月を感じさせるものではないし、それ以上望むのは酷というものだろう。
「ピクサーが面白いのは、スタッフたちがどのくらい映画をクリエイティヴだと感じるかどうかがスタジオの士気の高さに直結している点だ」とラセターは語る。「彼らの直感が作品はまだ十分なレヴェルに達していないと告げている場合、ぼくたちはそれを感じることができる。『アーロと少年』で感じたのもそういうことだった。
ゴミのような映画を見るとき、「作っている人もつまらないだろうねえ」とは母がよく言う言葉である。同じ現象はおそらくWebサービスとかにも共通するものだと思うが、この点に着目した観察というのはあまり多くないようだ。少なくとも私は聞いたことがない。
開発はつらいけれど、でもこれが世の中にでたらすごいぞ、そんな思いを持ちながら開発できるのは幸運なのかもしれない。
話がそれた。というわけで遠からず誰かがPixarの没落と復活の物語を書いてくれることを期待しよう。きっとそこからは学べることがたくさんあるに違いない。