今の日本に必要なもの
2016-04-11 07:25
すいません。題名はウケ狙いでつけました。少しだけ反省しています。
こういう大上段に振りかぶった題名を持つ文章はゴミと決まっている。しかしながら内容に関しては真面目に考えていることも事実である。先日見つけたこの記事。
最近目立って量産されているコミックが原作の恋愛映画についても「ハーッ」と大きなため息をついた。日本で主流になっている「製作委員会方式」に不満があるようだ。リスクの分散・回避のために複数のスポンサー企業が製作費を出資するシステムだ。
引用元:今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
リスクを回避するために全体が地盤沈下していく。おそらく企業活動の多くで行なわれていることもこれと同じにちがいない。でもってこの言葉。
ところで、日本映画が衰退している一因で“その通り”と思ったのは「映画評論家が『この映画はだめ』と言わないこと」という指摘だ。
「日本人はみんな優しいから(だめだと)思っていても言わない。逆に『すごい』とか持ち上げてばかり。なんでかね」引用元:今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
なぜかと問われれば、日本には社交クラブがそこかしこに存在しているからだと答える。何度か書いたが、「一生懸命映画を作り上げたスタッフの苦労を考えれば、ゴミ映画をゴミと言わない”心遣い”が必要」なんだそうな。
といったところで話は題名に戻る。我が国で多く見かける欠点として
「批判が許されない」
というのがある。批判はいついかなる場合においても忌避すべきもので、それを頻繁に行うものは組織から排除される。何度か書いたが「批判は許さない。排除する(首にしてやる)」と真顔で言ったのは、日本の超一流企業の落ちこぼれ管理職だった。
なぜ批判が排除されるかといえば、何よりも社交サークルの中の融和を優先する、というのが一つ。もう一つは「健全な批判文化」が存在しないというもの。
ダメ映画をダメ、というのは個人に対する批判ではない。それは現実を見据えることであり、忌避されるべきものではない。
この世の中には色々な人がさまざなな価値観を持って暮らしているのだから、当然色々な意見があってしかるべきである。自分と違う意見を持っている人とディベートをするのは、すごくプラスになり、楽しいことだが、一つだけ気をつけなければならないことがある。「相手の意見」は幾らでも攻撃して良いが、「相手の人格」を否定したり攻撃するのはマナー違反である。そこさえ気を付けていれば、「楽しく意見を戦わせる」ことが可能なはずである。
この言葉を書いたのは原発おじさんと化した人だが、かといってその言葉の全てが間違って居るというわけではない。意見の攻撃と、人格への攻撃を区別すること。これを徹底するだけでも日本の批判文化はだいぶましになるのではないかと思うがいかがでしょうか。
とかいいつつ
私も日本のサラリーマンだから、会社では批判的な言動は厳に慎む。皆が「大日本帝国万歳!」と叫べば、にやにや照れ隠しの笑いを浮かべながら、両手をあげる。そうしなければ日々の生活は送れない。