Alan Kayの言葉(断片)

2016-05-19 07:04

というわけでCHI2016シリーズである。Alan Kayともう一人の対談を紹介するとき、司会者は

「Alanは”人に考えさせる人”だ」

と言った。そのときはふーんと思っていたが、CHIの報告をしていると結局自分がAlan Kayの言葉ばかりについて語っていることに気がつく。

というわけで、聞き取れた断片をつらつらと。(一部他の人のtweetの引用)

・昨日学生たちと数時間一緒に過ごししていた。エンゲルバートについて聞いたら「マウスで何かした人でしょう」くらいの認識しかないのに驚いた。

・エンゲルバートが書いた1962年のARPAへのproposalをよむべきだ。読んでいないなら、CHIについて語るべきではない。それはまるで物理を専攻しているのにニュートンの法則を知らないようなものだ。

・悪いインタフェースについていくら語っても、良いインタフェースはできない。下手な絵をいくら見ても、素晴らしい絵は描けないだろう?

・startupはすばらしいが、それと大きな問題を混同してはならない。invention(発明) and innovation(革新)は全く違うものだということを認識しなければならない。

Alan Kay on limits of innovation in industry: "Startups are wonderful, but for crying out loud, don't make a religion out of it!" #chi2016

引用元:Andy J. Koさんのツイート

・素晴らしい研究者はtirilionを考える。1960年代の先人たちには確かにビジョンを作り上げそれを成し遂げた。でも今の多くの人は億単位の金のことばかり考えている。

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社内で報告をしたときまさに「インタフェース関連ってスタートアップがやればいいんじゃないか?」的な発言をした人がいた。というわけでAlan Kayの言葉と歴史を重ね合わせよう。

私が会社に入ったときやったFORTRAN講習では、紙にプログラムを書き、それをパンチカードに穴あけしてもらい「ジョブを流して」計算をした。当時大学の研究室にはPCがあったが、日本の大企業の計算機利用はそんなものだった。コンピュータとはまさしく「計算機」だったのだ。

その当時にエンゲルバートの論文のようなことを提唱するのは「頭がおかしい」としか言いようがない。しかし彼らは確かにそうしたビジョンを打ち立てた。

でもってXeroxのパロアルト研ではそうしたビジョンに基づく開発が行われていた。パロアルト研自体は十分に費用的に見合ったという議論もあるようだが、しかしAltoやSmalltalk自体は商業的に成功したとは言えないし、それだけでは世の中に何のインパクトも与えなかったかもしれない。

しかしあるベンチャー企業の人間がそれを見、そして「これは製品になる」と判断した。それから50年経って何が起こったかは皆様ご存知の通り。まさにtrillion $の産業が起こったのだ。

AppleはものすごいInventionを成し遂げた。しかし頭がおかしいApple原理主義者の私でも「GUIはジョブスが作った!」などと主張することはできない。それは60年代のビジョナリーなしには成しえなかったこと。彼らが打ち立てなビジョンがなかったとしたら、我々はまだApple 2を使っていたかもしれない。

ベンチャー企業はすばらしい。しかし定義によってベンチャーは目先の金を稼ぐことに集中しなければならない。そしてそうした方法で偉大な方向転換が成し遂げられることはありえない。つまり目先の利益から離れた研究と、新しいものを実用化して産業にするスタートアップは車の両輪であり、両方共必要であり、かつ全く異なるものなのだ。

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もう一つAlan Kayがぼそっと言っていたこと

・研究者がCHIに論文書いたり、peer reviewに精力を注ぎ込むことをやめれば、世界はもっとよくなるかもしれない。

なんでもそうだが、システムができると「そのシステムだけに最適化した人たち」が必ず現れる。今回

「CHIの厳正な査読プロセスを突破することはできるが、それだけしかできない」

研究を山ほど見た。それが生きて行くための重要な手段である人がたくさんいるのはわかるんだけどね。