量産される最終兵器
2016-05-06 07:01
ディズニーがピクサーを買収したのがちょうど10年前。それからディズニーがどうやってピクサーを解体し自分たちの一部として組み込んだかの歴史はおそらく研究に値するものだと思う。買収直前に彼らがピクサーと張り合おうとしたチキン・リトルの酷さは今でも覚えている。それから10年かけ彼らはここまで到達した。私はFacebookにこう書いた。(一部改変)
家族でZootopia鑑賞。どこかでこんな宮崎駿の言葉を読んだ。
「フィルムのどこか途中から観始めても、力のある映画は、瞬時に何かが伝わって来る。数ショットの映像の連続だけで、作り手の思想、才能、覚悟、品格が、すべて伝わって来るのである。要するに、どこを切ってもたちまち当りかはずれか判ってしまう。まるで金太郎アメだ。B級C級は、どこを切ってもB級C級の顔しか出て来ない。」
(東宝レーザーディスク「生きる」解説より)この映画はどの場面を切り取っても、映像を作ろうという人間が学ぶべき内容に満ちあふれている。宮崎駿の対極にある作品ながら、その完成度には唖然とする他ない。
ベイマックスといい、こうしたレベルの作品を年に一本「量産」するシステムというのは恐るべきものだ。日本には個々の才能は存在しても、それをシステム化することができない。引用元:大坪 五郎
主人公たるウサちゃんが、電車にのってズートピアに向かう場面一つとっても信じられないほどの「物量と才能」が注ぎ込まれていることが想像出来る。私みたいな素人がみてもそれに気づくのだからプロが見たらあの数十秒だけで卒倒するかもしれない。
予算が違う、というのが日本の映画関係者の恒例の言い訳。じゃあ彼らと彼女たちに予算を渡したらこの映像ができるのか?私は無理な方に賭ける。
予算をかけ、才能ある人材を大量に集めるだけでは何も達成されない。それをまとめあげ、一つの作品、あるいは製品に結実させるというのはとてつもなく困難な事。例をあげよう。かつて日本の家電メーカーにはありあまる予算があった。彼らは今と違って儲けていたのだ。そして日本の一流大学を優秀な成績で卒業した社員を大量に採用していた。当時のネームバリューがあれば、海外の優秀な人間を雇用することも可能だった。
その結果はどうだったか?
いや、これは別に日本のお家芸と誇るほど我が国にしか起こらない事象ではない。自動車のビックスリーとかGEとかありあまる金を人材を擁しながら没落した企業は世界中にゴマンとある。
しかし
日本に任天堂を除いては成功例がないことも確かだ。これはどういうことなのか?何が欠けているのだろう?この疑問はここ最近ずっと私の頭にとりついているが、答えは見えていない。