Anger Management

2016-07-28 06:54

沖縄でドライブしている時、米軍向けの放送を聞いていた。すると「Anger managementクラスに行ってみないか」というCMが聞こえてきた。日本ではこの言葉ってあまり耳にしないが、米国では時々聞くような気がする。

日常生活で一番怒りを感じるのは、電車の改札で突然立ち止まる人がいる時である。思わず背中を蹴ろうかと思う。今のところ行動には移さないが年をとると怒りのマネージメントができなくなると、真田丸で見たので心配である。

それとともに「俺はなぜこんなに腹をたてるのだろう」と面白がって見ている自分もいることに気がつく。冷静に考えれば無茶苦茶な話である。相手を蹴れば怪我をさせるかもしれないし、警察沙汰になるかもしれない。理由はといえば「相手が立ち止まったから」それだけである。

そこから気がついたのは

「駅の構内では、皆流れを乱さないように歩くべきだ」

という勝手な思い込みがあることに気がつく。そう強く信じているが故に、その流れを乱す行動に対して過剰とも言える怒りを覚えている。

そこから発展して

「すべての怒りは誤った予測に起因する」

という命題を打ち立て頭の中であれこれ考えている。子供が宿題をやっていない。それに対して腹をたてる。それはなぜかといえば

「宿題はやって当然だと思っているし、子供もそう考えるべきだ」

という思い込みがあるから。こうして文字にするとその思い込みの根拠が薄弱なことに驚くが実際そう考えているとしか思えない。

そう考えている時にこんな文章に出会う。

私自身、自分と他者は別の人間であるという理解はできているのですが、

日常生活の中ではついつい、境目があいまいになりがちです。

そして、それが会話にははっきりと出てしまっています。

引用元:“主語がない!”ADHDの女性の会話における3つの特徴 - 大人ADHD 月子の生き方

ADHDにせよ、アスペルガーにすろスペクトラムなので、「完全に正常」という人はいない。そして対人の怒りというのは多かれ少なかれADHD的「自分と他人の区別がついていない」ことから起因するものではなかろうかと思い始めた。つまり

「相手はこのように振る舞うべきだ」

という思い込みがあるが故に、そうでない行動を相手が取ると怒り出すのではないか、と。

となれば

怒りのほとんどの原因は自分にあることがわかる。つまり

「予測と他人と自分の区別ができていない」

のだ。鳩山元首相は日本にひどい災いをもたらしたが、個人的には恩を感じているところがある。あれだけ馬鹿なことをして周りから非難されても、も本人がわかってなければどうということはない、というのを身を以て示してくれた。

であれば

所詮は自分がどう反応するかだ、というあたりまえの結論に立ち戻るわけだ。そうきちんと認識できれば、頭がボケてきたときに立ち止まった人の背中を蹴り飛ばすことなく、平和に暮らせる...かな?