チャットにかける人たち
2016-07-19 06:55
先日弊社で行われたWWDC情報共有会で私はこう言った。(誰も聞いてないと思うけど)
「言語を用いたインタフェースというのは、”人にとって自然”と宣伝されることがあります。しかし私の考えでは言語を用いてコンピュータと対話するのはめちゃくちゃ不自然で不自由なインタフェースです」
不幸にしてこのことを理解する人は少ない。私はこの記事に全面的に賛成だ。
願わくばこの記事が広まり、浅はかな「対話型サービスの未来」を断念し、より可能性の高いビジネスに切り替えて欲しい。
そしてこの記事を受けても尚、私の予測を上回り成功するチャットボットサービスが出てきてほしいとも思う。
チャットボットをめぐる騒動を見ていると、いくつか興味深い点がある。まず一つ目。なぜこのまちがった方向にこうも多くの人が惹きつけられるのか。人同士が対話するときですら言語はあまり役に立っていないというのに。
そしてもう一つ興味深い点。なぜ対話インタフェースはこうも役に立たないのか、という点。自然言語処理という分野の歴史は長く、投入された研究開発の資源は天文学的な数字になるだろう。なのに未だ言語間の翻訳すらできない。(先日知ったのだが、冷戦まっただ中の頃にはロシア語、英語の翻訳ニーズがあったのだな)
このことを根本的に反省し、そこから何かを導き出そうという議論をあまり見たことがない。具体的に言おう。最近小学校五年生の娘が「この言葉を修飾しているのはどの部分か」という問題をやっている。そしてコンピュータはこの点において小学五年生の問題も解けない。
そこには「そもそもコンピュータはコンテキストの理解ができない」ということになる。ではその「文脈」とはたとえばAlphaGoではどのように回避しているのか、将棋のプログラムではどうか。このように決定的に記述できるゲームでは可能だが、そうでないもので見込みはあるのか。という話につながっていくと思うのだ。
Deep Learningだなんだでもって渡されたデータからパターンを読み取ることはとても上手になった。しかしコンテキストが関連するとあっという間に馬脚が現れる。これはどういうことなのか。そもそもコンテキストとはなんなのか。ここらへんについて真面目な議論が聞きたいなあと思う今日この頃。
AIの専門家と称する人たちの中に共通すると想像される制約というのが「短期間で成果を出さなくてはならない」というものがある。であるから「精度がX%向上しました」と論文を書き続けるわけだが、一歩引いて「そもそもの問題ってなんだっけ」と考えることが必要だと思うのだ。しかし前述の理由で「専門家」にはそれは期待できないから、野次馬がやるしかないのかね。