日本の最近のデザインはなぜクソなのか
2016-08-10 07:02
社内で社員同士が講師をやる勉強会のようなことが行なわれている。そこで私もしゃべっているのだが、何度も出てくる話題が(というか私が出してるんだが)なぜ日本の最近のデザインはクソなのか?という話題。具体的に言おう。2020年のオリンピックのロゴはこれ。
でもって1964年のロゴはこれである。
2020年のロゴをめぐるゴタゴタは適当に聞いていた。しかし恥ずかしながら1964のロゴがこれほど美しく大胆なデザインだったとは知らなかった。半世紀以上を経て、日本のデザインがどれほど劣化したかはこれを見るだけも明らか。
2020年のロゴにはたくさん説明がついている。
歴史的に世界中で愛され、日本では江戸時代に「市松模様(いちまつもよう)」として広まったチェッカーデザインを、日本の伝統色である藍色で、粋な日本らしさを描いた。
ゴミで「問題が少ない」デザインについた長文の説明。これが今の日本の問題を象徴している。小賢しいロジックの集合体はゴミでしかない。いや、貴様ごときが何をいう、という人にはこのプロのデザイナーの言葉を送ろう。
しかし現在、「これほどエディトリアルデザイン(新聞や雑誌、書籍など出版物のデザイン)のレベルが落ちた時代はなかった」と思っています。日本のグラフィックデザインはかつて、世界に冠たるもので、一大王国を作り上げていたのですが、今では逆に「日本のグラフィックデザインが世界の中でこれほど悪い状況に落ちたことはなかった」という状況になっています。日本のコマーシャルはかつては世界中のCMやCF(Commercial Film、映像を使った広告)の賞を総なめしていましたが、今ではそういったことはありません。
引用元:Business Media 誠:イタリア人以外で初めてフェラーリをデザイン、奥山清行氏が語る“ものづくり”の未来
今社内の勉強会に向けてあれこれ調べている。社内での発表が終わったら、集めたネタをこちらのブログでちょこちょこ出していこうと思っている。結論だけ先に書くと
「大胆かつ単純なグランドデザインの欠如」
が直接の原因で、これを生んだのは
「民主的な集団的無責任体制」
である。いや、貴様のような素人が、、と言われると思うので他の人の意見を引用しよう。
もちろん、製作委員会メンバーに上記のような事項を要求するだけの、力強いリーダーシップが必要である。
これはプロデューサーであったり、監督であったりするわけだが、製作委員会方式で成功した事例の裏には、このような力強いリーダーシップが必ず存在している。
悪名高い制作委員会方式であっても、「力強いリーダーシップ」が存在すれば映画を成功に導ける、とこの文章の筆者は主張している。
逆の言い方をすれば、制作委員会方式の最大の問題は「力強いリーダーシップがなくてもなんとなく映画が作れてしまう点」にある。そうして「売れる要素満載!」のゴミ映画が今日も制作される。それが私の言うところの
「民主的な集団的無責任体制」
この「集団的無責任体制」というのは日本のお家芸でもあるのだが、それについては以下次号。