コントロールを失う時
2016-10-19 06:50
昨日こんな記事を見つけた。
ハーバード大の社会心理学教授、ダニエル・ギルバートは次のように述べた。*1
人間はコントロールへの情熱を持ってこの世に生まれ、持ったままこの世から去っていく。
生まれてから去るまでの間にコントロールする能力を失うと、惨めな気分になり、途方に暮れ、絶望し、陰鬱になることがわかっている。死んでしまうことさえある。
読んで思い出すのはNTTソフトウェアという集団にいた時のことだ。30年以上のサラリーマン人生の中で
「会社に行っても意味がない」
と思いズル休みをしたのは、あの集団に所属していた時だけである。最初の半年はNTTデータに奴隷として出され、あとの1年少しは電電公社の老人たちの世話をしていた。文字通りの「カバン持ち」をやらせてもらったのもNTTソフトウェア時代の貴重な経験。
あの頃の私はいまより物理的に若く、残業もほとんどなかったが(電電公社老人の世話の時は)今よりもくたばっていた。考えてみれば、三菱重工で働いていたときも半分くらいは「廃人」と化していたな。
この「快適に暮らすために必要なコントロールの量」には人によって差異がある。私は多分三菱重工にはいった同期の中でもかなりそれが多い方だったと思う。何をコントロールとみなすか、みなさないか、というのも人によって異なるのだろう。異なることは悪いことではない。問題は個人の必要量と環境とのミスマッチ。それを知るまで随分時間がかかったな。