あなたの職場に巨災対を設置すべき3つの理由
2016-10-03 07:12
映画「シン・ゴジラ」をまだ見ていないとすれば、あなたは人生の価値の1/5くらいを損なっている。今からすぐ最寄りの映画館に行きなさい。そして「巨災対」 ー映画『シン・ゴジラ』劇中に登場する組織『巨大不明生物特設災害対策本部』の略称(引用元)ー に注意を払いなさい。
そして職場に巨災対を設置すべき。えっ何を迷っているのですか。ほれ、ゴジラはすぐそこに。
などという与太話はさておき、私には嘘をつく胆力がないので最初に白状する。書きたいことは
「職場にピクサーのブレイントラストを取り入れませんか?」
なぜ私はそう主張するのか。理由について述べる前に、まずブレイントラストとは何かについて。
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ブレイントラストとはピクサー/ディズニーが作品を磨くために行なっている会議のこと。ピクサーの過去の作品/ディズニーの最近の作品はすばらしいのだが、制作の最初の段階からそうだったわけではない。ブレイントラストという「磨く」プロセスを経て輝きだすのだそうな。ではそれはどのように行われるのか。いくつかの記事から引用すれば
・監督とプロデューサーが進捗状況を報告する。
・誰もが平等に発言権を持つが、ジョン・ラセターが気に入ったシーンや改良が必要だと思うテーマやアイデアを挙げると、そこから率直な意見が飛び交い始める。
・作品の強みや弱みについて、それぞれが自由に発言をする。
・悪いところ、抜けている点、わかりにくい点、意味をなさないとことを指摘する、ただし具体的に。
これだけだと「単なるレビューではないか」と思われるだろう。しかし重要な差異が存在している。
作品はあくまでも監督のもの。ブレイントラストは監督がプロジェクトの改善ために使う。つまりどのような意見がでようと、それの採否はあくまでも監督の判断。それゆえブレイントラストには権限をもたせていない。(権限をもたせた時は失敗した)また建設的批判を受け入れることができない監督にはブレイントラストは無力。
参加者は仮に「正解」と思える案を思いついたとしても、それを監督に「心から納得」させなくてはならない(権限によるものではなく)。そこまでが参加者の仕事。
それが批評と建設的な批評の違いです。批評すると同時に建設している。
どんな指摘をするにしても、相手を考えさせることが大事だと常に思っています。
だから学校の先生と同じことをします。
問題点を言い方を変えながら50回くらい指摘すると、そのうちどれかが響いて相手の目がぱっと開く。
「ああ、それやりたい」って思ってくれるんです。
さらにこの会議の主役が監督であることを示す一節を引用しよう。
「ブレイントラストが考える解決策は、おそらく監督やその制作チームが考える解決策ほど優れたものにはならないから」
レビューに参加するたび思うのだが、発表している人間は少なくともその問題について参加者とは比較にならないくらいの膨大な時間をかけ、考え抜いている。もちろん抜けもあるだろう。深く入り込んだゆえに混乱していることもあるかもしれない。しかしその場で数分聞いただけの人間が本当に「よりよい解決案」を思いつくのだろうか。しかし仮にその意見が「新たな解決策」ではなかったとしても、監督が考える手助けになることは期待できる。
このように見てくると、ブレイントラストが「指摘事項を的確に反映すること」を要求する通常のレビューとは異なることがわかるだろう。またブレーンストーミングとも違う。通称ブレストは参加者が自由に意見を出し合うだけ。主体がどこにあるのかはっきりしない。ブレントラストでは検討の対象になる(制作途中の)作品が存在し、それに対して意見が述べられる。
ブレイントラストの参加者は慎重に選ばれている
ブレイントラストのメンバーはストーリーテリングに深い造詣を持つ人ばかりで、たいていそのプロセスを自ら経験している
つまり自分で手を動かしていない人間をこの会議に加えてはならない。電話とメールで相手を「詰める」ことしかしない人間はそもそもお呼びではない。なぜか
信頼関係を築き、率直に話せるようになり、反撃を恐れず危惧や批判をできるようになり、建設的な批評の言葉遣いを覚えるまでには時間がかかる。
このプロセスが機能するためには、参加者の間に信頼関係が存在しなければならない。では信頼関係とは何か。それは
・どのような意見がでるにせよ、それが個人的な感情に基づくものではなく、良い作品を作るという一点からのものである。
・指摘する方も指摘される方も、映画を作る苦しさ、難しさ、そしてそれに批判を受けるつらさを身を持って理解している。
ことをお互いが当然のこととして信じられる関係ではなかろうか。
ブレイントラストでは「お互いが率直に意見を言い合うこと」が必要であり、難しいと強調されている。これを読んで私はGoogleでの有名な研究結果を思い出した。
そして、最後にGoogleがたどり着いた、成功するチームの共通点。
それは、心理学の専門用語では「心理的安全性」と呼ばれる、
「他者への心遣いや同情、あるいは配慮や共感」といったメンタルな要素だったのです。
「こんなことを言ったらチームメイトから馬鹿にされないだろうか」、あるいは「リーダーから叱られないだろうか」といった不安を感じる事が無い、
安らかな雰囲気をチーム内に育めるかどうか
本来の自分を曝け出すことができるかどうか
が成功の鍵なんだそうです。
つまりこのブレイントラストで示されている重要な要素は、Googleの研究結果で示されている「成功するチームに共通する唯一の特徴」そのもの。
もう一つ傍証をあげよう。集合知という言葉がある。複数人の知を「うまく」集めたものは個人の知を上回ることができる。しかし複数人を集め自由に発言させると結果は衆愚になりがちである。この二つを分かつものはなんなのか。
集合知とは謙虚から、
衆愚とは傲慢から生まれるものだと思った。
「分からない」を認め、
周囲に耳を傾け、
自分の確信を保留し、
不確定な事項を肯定的に受け入れる姿勢が集合知を生み出す。
逆に反発を恐れて集団内の不一致を隠し偽りの合意に走った時、
衆愚の罠に陥る。引用元:【感想・ネタバレ】集合知の力、衆愚の罠 ― 人と組織にとって最もすばらしいことは何かのレビュー - 電子書籍ストア BookLive!
ここにも同じ要素が出てくる。集合知が機能するためには、それぞれが自分の意見を率直に述べることができなくてはならない。同調圧力が働いたり「みんな言っているから」という気持ちが出たり、述べられた意見に感情的に反発した瞬間に集合知は衆愚に変わる。ブレイントラストの、権威を持たせない、参加者を慎重に選ぶといった特徴は「衆愚」の罠を避けるためではないか。
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さて、ここで話は表題に戻る。なぜ私はこれを「巨災対」と名付けたか。
理由その1:「巨災対」が観客の心を打ついくつかの要素がこのブレイントラストに含まれているから。以下に列挙する。
・巨災対は全員が出世とは無縁、加えて巨災対内の発言は評価と関係ないと宣言されている。
・人の足をひっぱったり、ぬけがけの功名を目指す見ていていらいらするようなキャラクターがいない。皆が「巨大生物による災害を食い止める」ただその一点に集中している。
・異なる見解の間の議論は行われているが、それは個人的感情、個人に対する攻撃とは切り離されている(例:安田課長の「ごめんなさい」)
・巨災対、そしてこの映画には自分は手を動かさないのに無責任な批判を繰り返す人間がいない。そうした人々は巨災対の面々が寝ている場面のバックグラウンドノイズとしてだけ存在する。
初めから自衛隊を投入して攻撃していれば惨禍は未然に防げたかもしれない。しかし、この物語にはそういったことを無責任な立場から告発するアウトサイダーは登場しない。
登場するのは、完璧ではなくてもなんとか事態を解決しようと試みつづけるインサイダーたちばかりである。引用元:なぜ人がイチローになってから打席に立とうとするのか、『シン・ゴジラ』で説明するよ。:弱いなら弱いままで。:海燕のチャンネル(海燕) - ニコニコチャンネル:エンタメ
総理を含め誰もが完璧な判断を示すわけではない。しかし彼らと彼女たちは皆が責任を負い、事態に自ら取り組む。
ブレイントラストの参加者に要求されるのもそうした態度である。建設的な批判を相手の立場になりながら行う。無責任な評論家 ーアウトサイダー的態度ー ではなく実際に制作の苦しみを分かち合うインサイダーとして発言することが求められている。
「スケジュールが守られてないじゃないですか!課題表が整理されていない!何をやってるんですか。説明してください!」
と相手を詰めるだけの人間はシン・ゴジラにもブレイントラストにも居場所がない。
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振り返って現実世界の会議はどうだろうか。自分で手を動かさず、現実を見ず、部下を詰めることしかしない「偉い人」が長々と演説をぶつのが当たり前になっていないだろうか?もしそうだとすれば、ブレイントラストを職場に導入することは有益と思うのは私だけではないと信じる。
とはいえ
我々日本人にとってブレイントラスト導入のハードルは高い。山本七平が喝破したように「空気」なる得体の知れないものがその場を支配し、それを読めないものは排斥されるのが我が国の特色。発言の際には「周りの空気を読み、それを壊さない」ことが第一に求められる。さらには肩書きの上下は身分の上下と同一視される。それゆえ上司は部下に長々と説教を垂れる。なぜなら身分が上だから。どこかのコンサルティングファームのスローガンとは反対に
「何を言ったかより、誰が言ったかだけが問われる」
のが日本の社会。いや(日本に比べれば)自由な意見が飛び交うアメリカの文化においても、そうした傾向を克服するのは容易ではなかった。
私たちは彼らに、会議室から上下関係を取り除くことが、このミーティングで重要な点であることを説明していました。ですが、何カ月か経って見てみると、メンバーは、自分の考えを口に出す前に、ジョン・ラセター(主任クリエイティブオフィサー)の考えを受け入れてしまうことが分かりました。それは、ブレイン・トラストの考えと逆行するやり方です。私たちは、なぜジョンの考えに従うことが、結果的にチームにとって害となるのかを説明しました。その後、彼らのやり方は改善されましたが、かなり高いレベルで運営できるようになるには、数年を要しました。私たちが互いに信頼していなかった、というのは理由として十分ではありません。信頼というのは、構築に時間がかかるものです。今では、ディズニーのミーティングは、すばらしい場へと変化しました。ですが、それに労力を要したことは事実です。
ディズニーへの導入に数年要するブレイントラストを果たして「空気」が場を支配する日本に導入できるだろうか。間違いなくそれは困難だろうし、日本独自の工夫も必要になると思う。それが「ブレイントラスト」ではなく「巨災対」を導入すべきかもう一つの理由。
理由その2:もしブレントラストが日本に根付くことができるとすれば、それはピクサー/ディズニーのブレイントラストとは似て非なるものになっているに違いないから。
宴会の席で、上司が「無礼講でいこう」と言えば、それは「お前ら俺に気を使いもちあげろよ。俺の説教を黙って聞けよ」と解釈すべき日本において果たして率直で建設的なコミュニケーションが成立するだろうか?
いや、悲観的ばかりになる必要はない。もし巨災対の姿になんらかの羨ましさを感じるのであれば、それは我々がブレイントラストというピクサー/ディズニーの素晴らしい作品を産んだプロセスに潜在的に渇望している印かもしれない。
私たちは、アナ雪、ベイマックス、ズートピアという素晴らしい映画として、ブレイントラストの成果を目の当たりにしている。であれば、自分たちがそこから学び、取り入れることを考えるべき。もしあなたが
「ブレイントラストが日本では機能しない4っの理由」
を書くアウトサイダーではなく、
「現実の問題をなんとかしたい」と自ら行動するインサイダーならなおさらだ。
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ちょっとまて、理由が2つしなないではないか、と気がつく人(そもそも誰も表題なんか覚えてないと思うが)のために最後の理由を明かそう。なぜ「巨災対」などという言葉を使うのか。
理由その3:流行りの言葉をいれて注目を浴びたい、というさもしい根性