自転車に乗って

2016-11-29 06:56

というわけで、久しぶりにWISSで登壇発表できるのでその予告を少し。

CHI2016ではAlan Kayのキーノートが一番印象的だった。

「悪いインタフェースをいくら並べても、良いインタフェースを作る役にたたたない。下手な絵をいくら見ても絵は上手にならないだろう?」

というのはどっかの先生に喧嘩をうる議論にも見えるが、真実だと思う。「失敗を防ぐ」ことは確かに大事だが「良いものを作る」のはそれとは全然別のゲーム、ということは不愉快なほど多くの場合忘れられる。

それより印象に残っているのは

「未解決の最も大きなHCIの課題は?」

という質問に対しての彼の回答

"We want user interface that help us to be different."

我々がよりよくなるためのインタフェースが必要だ。

当たり前に聞こえるだろうか?現実に何が行われているか見ればよい。使いやすいインタフェースはようやく必要性が浸透してきた。よりユーザが金を落としてくれるインタフェースをつくる努力はそこかしこで行われている。

しかしユーザがよりよくなるためのインタフェースを作る、という話は聞いたことがない。多くのインタフェースはAlan Kayがいう

「自転車に補助輪をつける」

試みになってしまっている。

「乗ってみろ」と言われ、自転車に乗れる人は百人のうち何人いるのだろう?ユーザテストの結果、誰も自転車に乗れないことが判明しました。したがってreject.冗談のようだがこれが現実に行われていることだ。補助輪をつければ確かに自転車に乗ることはできる。しかし自転車の持つ機能は大きく損なわれる。しかし

「この補助輪をつけた結果、離脱率が減少し、ほとんどの人が自転車に乗れることがわかりました」

と書けば、論文は満場一致で採択される。ミクロとして理解はできるが、マクロでみると馬鹿げている。

問題は

私が今回作ったへんなインタフェースと、この壮大な主張をどうやったら10分の中でまとめることができるのかわからないこと。この見過ごすほど小さな問題を解決することさえできれば、名プレゼンテーションができるのだが、いや残念だ。