仕事に必要な英語力について

2016-12-13 06:46

それは場合による、としかいいようがない。なぜこんなことを書くかといえば、この前のApple EventでSuper Mario Runを発表した時の宮本氏の「英語のできなさ」に愕然としたからだ。

最初のちょこっとだけ英語で喋ったのだが、何を言っているかよくわからなかった。しかしそれでも彼はApple Eventの舞台上でプレゼンをして大喝采を浴びている。

In a recent interview with Wenner Media’s Glixel, Mario-creator Shigeru Miyamoto opens up about the creative development process, working with Apple, and the upcoming Super Mario Run for iOS. Miyamoto describes approaching Apple on the idea for the game, and working with Cupertino leadership that was willing to listen.

引用元:Mario-creator Shigeru Miyamoto talks about working with Apple ahead of Super Mario Run launch | 9to5Mac

このインタビューも間違いなく通訳を介して行われたものだろうが、そんなことは誰も気にしちゃいない。そうすると結局「仕事に必要な英語力」は仕事の種類によりますねえ、としか言いようがない。

いろいろな人の英語力を見ていると、「海外ドラマをみた」だけでベラベラ上手な英語を喋る人もいれば、何年もアメリカに住んでいるのに「日本語ですか?英語ですか?」と聞きたくなるような英語を喋る人もいる。おそらく確かなことは

・語学の才能というのは存在する

・語学の才能というのは、他の知性、知能とは独立の才能

ということのようだ。後者は北杜夫の本にあった「旅行しているとなんか国語もしゃべる火星人のような人に会うが、そういう人が人間として上等かというとそうでもない」というくだりがあった。きっとここらへんについて誰か研究した人もいるとは思うのだが、不幸にして私は知らない。

そもそも「社会的知性」というのが怪しげな捉えどころのない代物である。というわけで結論は

「英語が勉強したかったらしなさい」

ということになる。一周回ってたどり着いた結果だからこの無意味な言説にも存在価値がある、と考えよう。