大乗仏教とDeNA

2017-01-10 07:02

最近仏教はキリスト教に関する本を読んでいる。そもそもなんで仏教にあれこれの「神様」がいるのか。仏陀は悟りを得たはずなのに、なぜ坊主をいじめると7代祟るのか。(「さびしんぼう」にそういうセリフがあったように思う)

これはつまるところ「多くの人は感情でしか物事を判断しない」ところから来ているように思う。冥想して悟りを開くなど誰にでもできることではない。であればとにかく念仏唱えろ。ナンミョーホーレンゲーキョーといえ。そうすれば救われる。それに反対する奴は敵。結局世の中に広く広めようと思えばそうなってしまう、というのが普遍なパターンではないのか。

でもってこの記事

 多くの“コンテンツ”が(コミュニティーではなく)広告主である企業の目的達成のためのものになってしまうため、「インターネット上の広告ベースのメディアが破綻することは明らか」だという。

 「われわれは、自分の考えを投稿する人々は、単に数秒間注目を集められるからではなく、人々を啓発し、情報を伝える能力で報われるべき」なので、それが可能になるビジネスモデルを模索していくという。

引用元:好調なはずのMedium、従業員の3分の1を突如リストラへ - ITmedia ニュース

これはMediumというサイトが、DeNAとは真逆のビジョンで作られているものを示す言葉。DeNAにとっては自分たちがサイトに何をのせているかには何の意味もなく、それがGoogleの検索で何位にくるか、ページビューの数だけが問題だった。

そしてそれを目指そうと思えば、医学的に正しい「よくわかりません」という記事より「肩こりの原因は、幽霊かも?」と書いたほうがいいわけだ。つまり数秒注目されることのほうが彼らには重要だったと。

いや、大乗仏教がDeNAと同じ、と言われるとおそらく大乗仏教の人は怒ると思うが、ナムアミダブツと称えれば本当に阿弥陀仏が来てムキムキにしてくれるのか?坊主とてそんなことは信じていない。しかしそうすれば民は救われると信じているからやっているのではなかろうか。そして多くの民が信じ、集金がうまくいけばその教えは繁栄する。DeNAが繁栄したように。

これは歴史の上で何度も繰り返されて来たパターンのように思える。であればそろそろなんとかする方法が考えられてもよいころだ。