仕事の選択と絵描き
2017-02-06 06:47
最近こんな記事が話題になっていたようだ。
結論から言うと
「会社で無能扱いされたら自分の能力を悲観するより、会社に合ってない」
と考えたほうがいい。
私は転職回数4回。社会人はもうすぐ32年だな。そろそろ「じいさん」と呼ばれる年である。
この文章を読んでいて、自分の職歴を振り返った。
仕事には2種類ある。
「絵を描く」仕事と「他人が書いた絵を塗る」仕事だ。
この二つは似ているようで、全然違う(少なくとも私や先に引用した文章を書いた人にとっては)
あちこちで公言している話なので、ここでも書くが社会人2年目から3年やっていた仕事は、88式地対艦誘導弾の発射機の設計だった。
「設計」といえば聞こえはいいが、すでに試作を2回行なっており、それにでてきた改善要望を量産型に反映させる仕事だった。
その間自分で図面を書いたことは一度もない。お客様からきた要望をひたすら表にまとめていた(今からだと信じられないことだが、Excelでやれば問題ないこういう仕事も手書きでやると恐ろしいほどの時間を必要とする)
自分のアイディアで提案した改善が一つだけあった。使用の度に上げ下ろしが必要なケーブルドラムの位置を下に移したのだ。
これが3年の間で私が一つだけ達成した「絵を描く」ことだった。これですら「どんどん提案しないのはなぜだ!」と怒鳴ってばかりいた上司にボツにされそうになった。彼は寸法がデタラメな図面(それでもいい図面というのはあるのだ)を元に私の出張中に誰かに検討させ「ここに入らないじゃいないか」といちゃもんをつけた。
この頃私は元気いっぱいの20代前半だった。しかし確実に今よりくたばっていた。土日は廃人のようになっていた(実際そのころは廃人と言っていた)
今から考えればだが私はおそらく無意識下で
「こんな下手な誰かが書いた絵に、色を塗る仕事なんてしたくないんだー」と
と叫んでいたのだと思う。
その会社で二番目に楽しかった仕事はいろいろな事業所から集まる人で行われる研修で作ったささやかな加工システムだった。みんなでアイディアをだし、自分の提案も採用された。そして要になるソフトウェアは全部自分で作った。それは小さくはあったが自分が書いた絵だったのだ。
そして一番楽しかったのは某シミュレーションソフトを作った時だった。仕様を描くべき部署の人間は一部の計算アルゴリズムは指定してきたが、それ以外は何もしなかった。(多分お客様に説明する書類を作っていたのだろう)だから全体の仕様は私が作った。この作るというのは書類とコードと両方作ったという意味である。
このソフトはお客様に好評を博し、会社で関係者に表彰状がでることになった。対象者は5名。3名はソフトの仕様を書くべき部署にいた人間(ちなみに私はこのソフトの仕様書を一度も見たことはなかった。うるさい会社だからきっと立派な仕様書が発行されていたのだと思うが)1名は全くソフト開発に関係のない人間、もう一人が私だった。つまり会社の公式見解としては
「あいつらは、言われた通りソフトを作っただけ」
ということにだったのだと思う。
というわけでいろいろな仕事をしてきた。NTTデータの下請けとして常駐していた時にはあやうくうつ病になりかけた。(当時のメンタル診断はその一歩手前を示していた)仕事に意味はなく、全く責任はないのにこの始末である。この時の仕事も「全く無意味な絵に色を塗る仕事」だった。
こういう仕事の好き嫌いが激しい人間は、最初の会社では「使えない」そして経験から言えることだが、世の中には「絵を描く仕事」より「絵を塗る仕事」のほうがはるかに多い。
だから「絵描き」は自分が生きていられる場所を一生懸命探す必要がある。あるいは誰にとってもそうなのかもしれない。
前にも書いたが私は「タツノオトシゴ」を見るたびに考える。進化の結果がこのピロピロか、と。答えは「タツノオトシゴは自分が生息できるニッチを探し当てた」ということであり、我々がピロピロと思おうがなんだろうが、彼らはそのニッチに適応している。
どこでもしぶとく生き延びる細菌のようなものもいる。タツノオトシゴのようなものもいる。絵描きは常に自分が生きていられる場所を探さなくてはならない。サラリーマン人生も終盤にさしかかってこんなことに気がついても遅い。しかしここに書いておけば、誰かの役にたつかもしれぬ。