プレゼンの自己紹介
2017-03-13 07:08
というわけで「プレゼンテーション失敗の本質」という本を書いている。先日「あら、私が書いていることと全く同じである」と驚いた文章を目にしたので引用する。
最初の自己紹介30秒以下にしろよ:
おまえがちょまどみたいに若くてキレイでかわいい女子だったら何時間でも聴きたいけど、ダメなオッサンのつまんない自己紹介は5秒以上も聞きたくない。無駄に長いこと生きている人の長い自己紹介ってつまんない。「89年に大手SIの子会社に入社」とか聞きたくない。もうねダメなオッサンは「idと好きなAWSサービス」だけでいいよ。長いこと生きてるからいろいろ言いたいことがあるだろうけど、いらない。無名無能力な40歳以上は自己紹介は最後でもいい。最後まで聞いてもらえるだけマシだ。
みんなが、お前が誰か知りたくなるのは、お前が何をやった人か知った後だ。引用元:40歳以上で無名でダメなエンジニア(元エンジニア)が勉強会で登壇するときの注意::村上福之の「ネットとケータイと俺様」:オルタナティブ・ブログ
日本人は「お約束」が大好きである。それはいつのまにか作られ、それに従うのが正しいとされ、従わないとわけのわからない難癖をつけられる。
しかし
私はこの人の意見に全面的に賛成だ。おっさんだろうが、20代だろうが「お前がどんな人間か」なんて誰も興味を持ってないんだ。少なくとも話を聞くまでは
「をを、これはおもしろい」
となったあとにようやく
「あんたはどんな人?」
と興味を持ってもらえる。なのにバカな自己紹介は後を絶たない。「なります言葉」と一緒で、おそらくそれが「従うべきお約束」と誰もが考えているのだろう。
私の意見ではこの「無意味な自己紹介」と「最後の”ご静聴ありがとうございました”」は2大無意味なお約束であり、バカ発見器である。そう思っていたら、先日東大山中教授のプレゼンの最後が「ご静聴ありがとうございました」だったので驚愕したが。
私は50代なので(先日数字が一つ増えた)5秒も使わない。最近は名前すら言わないことも多い。私はボケた年寄りだが、
「誰も私が誰かなんて興味を持っていない」
ことに関する自覚はちゃんと機能している。というわけで、私がプレゼンの冒頭に「私が生まれたのは何ねんで、職歴はこんなので、IPAのスーパーなんちゃらを受賞し」とか喋り始めたら、私を知っている人はしかるべき処置をお願いいたします。間違いなく認知症になっているので。