CLIE V.S. iPhone7Plus
2017-04-27 07:29
5月29日に明治大学で喋らせてもらえることとなった。というわけで今日はそのネタバレをチラッと。大丈夫。その日話を聞いてくれる人がまさかここを読んでるわけもないし。
かつてSONYは「世界のソニー」だった。Steve Jobsは何かのKeynoteで「僕らはソニーが大好きだ」と公言した。その頃のソニーはCLIEというPDAを出していた。これがその最高級到達点。
ジョグダイアル・Felicaリーダー、キーボード、赤外線通信、200万画素カメラ、Bluetooth, オーディオ再生、PDF表示。なんでもできた。
正直今の学生さんにこのCLIEがなんだったのかを端的に説明するのに苦労している。機能の項目だけを並べればできることはiPhoneに遜色がない。しかし全て1/20以下のレベルでだが。
つまりこれは「なんでもできるが、何の役にも立たない物」だったのだ。そして買ってしまうと始末に困る代物でもあった。サイズをiPhone7 Plusと比較してみよう。
CLIE NZ90:約幅75×高さ141×奥行き22.2mm(カメラ部のぞく)
iPhone7Plus:158.2 mm × 77.9 mm × 7.3 mm
というわけで、高さと幅はほぼ同じ。厚さがiPhone7 plusの3倍ある。つまりどうやってもポケットにはおさまらない。
なぜこんな製品ができてしまったのか。一つの理由として
「民主主義」
があげられる。多くの人の知恵と工夫を集めてものを作るとこうなる。この機能はあったほうがいいか、と問われれば
「そりゃないよりあったほうがいい」
と答える。中には「いや、現にユーザーアンケートでこれは上位の人気の機能だ。削ると売り上げが落ちる」と言われればその機能を削除することなどできようがない。
かくして機能はどんどん増え続け、iPhone7 plus3枚分のレンガが出来上がる。確かに機能はたくさんある。しかし。
今思えばこの「機能豊富で何の役にもたたないCLIE」はそのあとの日本を暗示していたのかもしれない。和をもって尊しとなしているとこれができてしまう。必要なのは
「これゴミ。やり直し」
と断言できる独裁者。
一つかねてから疑問に思っているのだが、なんとかメソッドとかなんとか思考とか世の中に設計の方法論はたくさんあるのだが、この「理不尽な決断」をどうやって位置付けているんだろうね?