「会社」に嫌われる時
2017-04-25 07:12
他人には「運が悪かっただけ」と言えても、自分では腑に落ちない。
自分が突然、会社の“コスト”としか扱われてないことを突きつけられ、むなしくなる。
自分の存在意義がわからなくなり、自分のすべてが否定されたようで途方に暮れる。
会社に裏切られた――。
どこにもぶつけようのない理不尽な気持ちに、押しつぶされそうになってしまうのである。
心理的契約――。
これは「組織によって具体化される、個人と組織の間の交換条件に関する従業員側の知覚」で、日本企業の雇用関係は心理的契約によって支えられてきた部分が大きい。
日本企業には「当然○○すべし」という不文律がたくさんある。それに従うほど、組織に従順でよい社員ということになる。その裏には
「これだけ忠誠を尽くしてるんだから庇護してくれますよね」
という暗黙の了解がある、と従業員は思っている。ご恩と奉公というやつだ。そして不思議なことにその従業員が出世して経営者になると「ご恩」の部分を忘れてしまい
「会社が危機の際には、いさぎよく腹を切るのが忠臣の道」
と言い出す。というかそういうメンタリティのやつしか出世できんのだろうね。
「追い出し部屋に行かされるのは、出来の悪い社員とは限らない。そのときの上司との関係や仕事への考え方の違いがきっかけになることもある。なんていうのかなぁ。要は、“運”みたいことがあってね。そうね、運なんですよね」
追い出された方は心に深い傷を負う。しかし追い出した方は「まあ運だね」という。そしてこの場合客観的にみれば「運」のほうが正しい。どんな状況でも出世する人間というのは、無責任で部下から嫌われる人間と相場が決まっている。会社は全人格的な献身を求めるが、それを適当にうけながす人間が出世するのだ。
「ある会社」との関係は「ある評価」に過ぎない。このことを理解するのは難しいのかもしれないし、日本企業の「社員研修」はそれとは異なるものの見方に溢れている。しかし会社がなんと言おうがそれは「ある評価」に過ぎない。少し歩けば、全く異なる「評価」が世の中にはいくつもあることがわかる。
このことを多くの人にわかってもらうためにはどうすればいいのだろうか。