TIA

2017-04-14 07:35

TIAとはThis is Africaの略。映画ブラッド・ダイアモンドで使われていた言葉。意外なことや理不尽に思えることがあってもTIAでおしまい。これがアフリカというもの。それに対して怒ったり嘆いたり愚痴ったりしても何がどうなるわけでもない。

昨日Potatotipsというイベントでしゃべってきた。案内ページにはこう書かれている。

Mini DisplayPort用アダプタ、USB Type-C用アダプタは会場にございます

引用元:potatotips #39 (iOS/Android開発Tips共有会) - connpass

午後6時半会場。私は最初に発表するので接続確認をしよう、と早めに行った。部屋にはいると、これから設営といった様子。誰かがHDMIケーブルをもってきて壁に埋め込んであるコネクタにつなぐ。

私が「接続確認をしたいのですが」というと「どうぞ」と言われる。しかしそこにあるのはHDMIのケーブルだけ。あの、アダプターはないんでしょうかと聞くと、初めて気がついたといった様子で「探して来ます」という。どうも彼らは「発表者が使うPCには全てHDMIポートが存在する」という前提でいたようだ。結局私が使うMini DisplayPort用アダプタが来たのは開始10分前(ちなみに最初にアナウンスされていた開始時刻)

Mac Book が使うUSB Type-Cでは「そもそも映像がでない」とある人のトラブルの後に宣言された。USB Type-Cの人は他の参加者が持ってきたドックを使用する、あるいはそれができない人は主催者のMacにプレゼンを移して表示、ということになった。

そうした様子をみて私は最初「イラッ」とした。あのイベントページにかいてあったことななんなのだ。しかしそのうちこれは怒りとかフラストレーションの根源、「予測と期待の誤り」であることに気がつく。

なぜ私がイラッとしたかといえば

・会場前に接続などの準備を行っておく「べき」

・多様な接続形態を想定して準備をしておく「べき」

だと決めつけており、かつ現実がそれから乖離しているから「イラッ」としたわけだ。

しかし私が「べき」と思ったのはあくまで私の思い込みでしかない。例えばアフリカの知らない国で同じ状況になったとしよう。その場合おそらく「イラッ」とはしないと思う。

「をを、アフリカではこれが当たり前なのか。TIA」

と思い、怒るより「じゃあどうしたらいいか一緒に考えましょう」と言うのではなかろうか。

なぜ反応が異なるかと言うと昨日のイベントでは、主催者が「自分と同じ考えで行動するべき」という誤った思い込みをしているためである。これが海外の名も知らぬ国だと「そこでは違う”常識”があって当然」と考える。それゆえ、非生産的な怒りより行動が前向きになるのではないか。

このように怒りとかフラストレーションの多くは「誤った予測と、他者に対する行動規範の強制」から来ていると最近考えている。日本に住み、日本語をしゃべる同じプログラミングに興味を持つ人であっても、その常識は様々に異なる。昨日の主催者が誠実に仕事をしようとしていたことは疑いがない。「PCには全てHDMIポートが存在する」というのがサイバーエージェントでは常識なのだろう。TIC.そう考えれば不毛なイライラ感にとらわれることなく、前向きに対処が可能なのではなかろうか。


と悟りを得たようなことをかいておいてなんなのだが


発表時間は5分である。なのにプレゼンの最中に

「あれ、全然時間足りないや」

と呟く人間がいたのには純粋な怒りを覚えた。この人は、「通しのリハーサルに必要な5分」を怠ったがために、無駄に時間を長引かせ、自分のプレゼンの質を低下させているのだ。どんなに忙しくても、5分が捻出できないほどではなかろう。そもそも、会場に来てから自分の番までは1時間以上もあったはずなのに。

ああ、イライラ。