Virtual Realityとはそもそも何か
2017-04-18 07:14
今Virtual Realityといえば、ほとんどの人は目の前にくくりつけたディスプレイを思い浮かべる。しかしながら私はあれが大嫌いだ。
そもそも仮想の現実感を与えるにはどうすればよいか?一つの考えは人間の五感を騙す、というもの。一番支配的な視覚を騙したものがあの目の前にくくりつけたディスプレイ、というわけ。
しかし
それは狭いものの見方である。
実際のところ、本は現在世にでているものの中でも最高のVRマシンなのだ。Oculus RiftのようなVRデバイスが、ユーザーの脳を包みこんで別の世界を映し出す一方、本は読者の脳を働かせ、彼らと本の創造的なやりとりを通して、違う世界を映し出している。
本に熱中している間、人間の感覚は別の世界に生きている。目の前にディスプレイをくくりつけることなんてなしに。映画にしてもそうだ。なぜわ我々はスクリーンの上に投影された光のパターンに涙するのだろう?それは我々が違う世界に行ったかのように錯覚しているからに他ならない。
昨日某大学で講演を聞いた。自分がスーパーヒーローになって子供を助ける体験をVRでした人は、その直後相手が鉛筆を落とすと「どうぞ」と素早く拾ってあげるんだそうな。講演者も行っていたが、こんな効果は別にHMDとは関係なく昔から存在していた。ヤクザ映画を見た後、人間はヤクザのような顔をしてでてくる。ブルースリーの映画を見た後は、自分が無敵のカンフー使いになったような錯覚に陥る。
そうやって「人間に仮想現実を見させる」技術というのは、人間の歴史とともに長い間積み重ねられてきたもの。そうした本質を無視して
「目の前にくくりつけたディスプレイがVRだぁ」
と叫んでいる若者を見ると微笑みを禁じ得ない。
文句を言うばかりではなく、提案をしろ、と私の中で声がする。滅多に行かないが「演劇」とか「舞踏」というものをみると驚くことが多い。演劇の舞台セットは、リアルなものもあるがいつかみたドン・ジョバンニは上から吊り下げられた数本の棒で様々な舞台を演出していた。
人間は存在するものを見ているのではない。パターンマッティングを行なっているのだ。であれば、その視覚を騙すことは目の前にHMDをくくりつけることなく行えるのではないか。そんなヒントだけはあるのだが、まだ形にできていない。