作家になること

2017-05-01 07:26

作家になりたい。なぜそう思うのか。

事の起こりはこの記事である。

朝と夕のご飯がきっちり用意されている旅館もいいけれど、自炊ができる台所付きの宿に憧れる。それも貸別荘のような明るい雰囲気ではなく、温泉街の片隅にある寂れた湯治宿だったら最高だろう。

引用元:巨大な自炊湯治宿、「農民の家」は最高だった - デイリーポータルZ:@nifty

いや、すばらしい。温泉にはいり、付近を散歩し、演芸会を見るのだ。その昔、北海道で見た演芸はいまでも記憶に残っている。

「あたし直美って名前だからあまりあだなつけられなくて。でも「かえる」って言われてたことがあるんです。そしたらおみやげがかえるの耳かきばかりになって」

引用元:巡り巡って-北の京芦別-北海道大観音

それでもってプログラムを作ったり文章を書いたりするのだ。朝昼晩と3回ご飯を作る。失敗しても自分で食べればよいし、栄養バランスや箸の上げ下げ、食洗機への設置方法とか部屋の掃除方法について懇切丁寧な指導をいただくこともない。

ネットの接続は1日一回に制限し、そこでメールをまとめてダウンロードしたり、(今では滅んだと思うが)巡回ソフトを使ってサイトをまとめて閲覧する。これなら時間を有意義に使えるだろう。夜は虫の音を聞きながら座禅を組む。ああ、なんと素晴らしい。

問題は

私が東京にあるオフィスに勤務するサラリーマンである、というところにある。そこに通わはなくてはならないのだ。これでは湯治場生活も実現しようがない。嗚呼。どうすればいいのか。

Wait a minute.

「城の崎にて」じゃないけど、作家というものは旅館に長期滞在して作品を書くというではないか。というわけで作家になれば、湯治場に一週間や二週間閉じこもっていても許されると思うのだ。最近気が付いたのだが、暑さが堪え難い時期、寒さが骨身にしみる時期、花粉が舞う時期というのはほぼ二週間なのだな。だからその間だけ農民の家にお邪魔する。

というわけで

私は作家になることに決めた。サラリーマンとしてやっていける年齢を超えたら「作家」と書いた名刺を作ろう。それで年に3回農民の家に閉じこもる。お金がなくなれば帰る。

そこまで何年かかるんだろう。