女性を差別しないなんてサイテー!
2017-05-10 07:18
私のような理屈っぽい人間でも、年をとるにつれ「合理的であるより現実的であるべき」ということを学ぶ。理屈を振り回しても現実は少しも動かない。だから女性を含んだ会合では必ず男性の負担が大きくなることに異を唱えない。それが我が国における社会常識だからだ。
これは女性差別ではないか、と言えば合理性の神は微笑んでくれるかもしれないが、実際の社会生活は困難になる。
さて
かなり年がいってから気がついたことだが、女性には女性特有の思考方法がある。その中の一つに
「女性がやることは無条件に正しい。それに対する攻撃は女性差別」
というものがある。
Ai Yoshitaniさんのツイート: "賛成!UPQは、『硬直化した日本の製造業に楔を打ち込める企業』になる可能性があるんじゃないかなーと私は勝手に思ってるんですよね。 今回はUPQの負の部分が
引用元:じゃすじゃすさんのツイート
以前ブロガーイベントに行ったことがあるUPQがまたもやトラブルを起こした。それに対するある会社の女性社長のコメントがこれである。
ちなみにこの社長は「じゃすじゃす」さんではない。なぜかと言えば、社長は直後に自分のTweetを削除したから。そしてこういうTweetを残している。
普段あんまり興味ないくせに、女性エンジニアや女性起業家が叩かれていると、つい擁護したくなる自分の心理に名前をつけたい。
このTweetは大変興味深い。UPQにはEngadget津田氏のような狂信的な支持者が未だについているがこの社長はそうした人間ではない。少なくとも自分のTweetに対する反響を知り、自らを発言を省みるだけの知性を持っている。
その「女性」にしてこの脊髄反射的な反応。これはどうしたことか。
女性はある種の「目立つ女性」について無条件の支持を表明する傾向がある。私はこのことを知ってる。なぜなら私が結婚した相手はかつて
「田中真紀子ってすごい。彼女が批判されるのは女性で、男に都合の悪いことを発言するから」
と公言していたからだ。ちなみに田中氏の無能さが誰の目にも明白になったころには
「蓮舫って結構いいんじゃない?」
と言っていた。
こうした傾向は私の配偶者にとどまるものではない。何かのコラムでひたすら田中真紀子を擁護する女性記者の記事を読んだことを覚えている。彼女がやったことは、男性優位の政治界に風穴を開けることだったのです、とかなんとか。
こうした思考の背後にあるものを想像して見よう。おそらくいくつかの前提がある。
・女性は常に差別/攻撃を受ける立場にいる弱いものである
・であるからどんな手段であっても、男性を批判/攻撃するのは正しい。喝采を送るべきだ。
・その女性に対する非難は女性を差別する感情から来ている不当なものである。
こうした感情は滅多に言語化されることはない。UPQに関して言えば前述の「硬直化した日本の製造業に楔を打ち込める企業」とかあるいは
日本人ミスに厳しい。ミスを防ぐにはコストがかかるし、スピードも失われる。UPQの良さってスピードと安さなんだから…
日本社会、こういうミスを多少は許容できたほうが、イノベーションが起こりやすいんじゃないかな。
といった「理論武装」がなされる。しかし(前述の社長は自覚があるようだが)それらの言葉は批判されている「女性」がどんな人かも確かめないうちに発せられている。自称アイドルも何も調べないうちに発言している。
そこらへん、確実にそうなのか把握してないんですが、いわゆる広板組み合わせ系なんですかね?
つまりそうした後付けの理屈はすべてカモフラージュであり、本音は前掲したいくつかの前提なのではなかろうか。
女性というだけで自動的にこうした思考ルーチンが働く。これは立派な「差別」なのではないかと思うのだが、女性達自身にはそうした自覚はないようだ。かくして本日の表題「女性を差別しないなんてサイテー!」という言葉が頭に浮かぶ。
確かに歴史を顧みればそうした言葉がでてくる背景もわかる。しかし21世紀にもなったので、少しは状況が改善されることに期待したくもなる。まずは前掲の社長の「この感情に名前をつける」とこから始めたいのだが、私にそうしたネーミングセンスは決定的に欠けているのであった。