想像力の限界

2017-06-12 07:20

洋画を日本で宣伝する際に、デタラメな予告編を作ったり、無茶苦茶な邦題をつけることはまあ普通に行われている。でもってその最新例がこれ。

邦題を決める際に「確かに懸念の声も上がった」としつつ、「作品の本質にあるのは、偉大な功績を支えた、世の中では知られていない3人の女性たちの人間ドラマ。ドキュメンタリー映画ではないので、日本のみなさんに伝わりやすいタイトルや言葉を思案した結果」

引用元:【更新】タイトルと内容が違う…?大ヒット映画の邦題「私たちのアポロ計画」に批判 配給会社に聞く

私もとっても楽しみにしているHidden Figuresの邦題が「ドリーム:私たちのアポロ計画」になっていたのだ。映画自体はマーキュリー計画を扱っているにもかかわらず。

でもって日本の会社が述べる理由というのが

「いーんだよ。どうせフィクションなんだし。日本人なんてアポロしか知らないんだから」

というもの。映画を観終わった観客が「あれ?アポロ関係ないじゃない?」と思っても、その時点で入場券料金は回収しているから問題ない、どうせ観客そんなことわかんないから、と思ったのだろうな。

さて

このように「馬鹿な相手を馬鹿のように扱ってしまう」ことはまあよく起こる。問題は「(私のような)馬鹿は”お前は馬鹿だ”と言われると怒る」という点にある。しかも「馬鹿を馬鹿にするとはけしからん」というモラリストも横から攻撃してくる。さて、どうやって弁解しよう。

こうした事例を聞くたび思い出すのは中曽根くん(親父の方)が首相をやっていたときの「失言」と「弁解」だ。

記憶で書くが、彼は「女性は政治家のネクタイの色しかみてない」とか発言した。それを聞いて私の母は「確かにそうねえ。中曽根さんがどんな格好してるかくらいしか興味ないものね」と言った。(私の母は賢いのだ)

とはいえ

今から数十年前とはいえこの発言は「女性に対して失礼である」と反感をかった。それに対して中曽根首相が述べた「弁解」はなかなか見事だった。

「女性はファッションのセンスなどについても大変するどい感覚をお持ちである。ですからそうしたところにも気を配らないとやられてしまいますよ、という意味で申し上げた」

吉田茂の「これが本当のガイトー演説だ」にもあるが、こうした失言のリカバリーにも想像力が欲しいと思う今日この頃である。ユーモアのセンスが重要視されない我が国においても、このような先進的な事例があるのだから我々はもっと創造的になれるはずだ。