Sherlockの第一話と最終話に関するある仮説

2017-08-28 07:11

というわけで、今日書くことはNHKで放映していたBBC制作のSherlockに関するある仮説である。ネタバレをたくさん含んでいるので、「未見だけどこれから見るかもなあ」という人は読まないでね。


シーズン1、第一話「ピンク色の研究」において犯人は全く同じに見えるボトルを二つだし「一つには無害の薬が、もう一つには毒薬が入っている。好きな方を選んでください。残りを私が同時に飲みます」という勝負を仕掛ける。

犯人はこの方法で、すでに四人「殺して」いる。(形の上では自殺だが)だから偶然ではありえない、と犯人は主張する。ではどうやったのか?シャーロックは一つ瓶を選ぶのだが、それは正しい選択だったのか否か?それは最後までわからない。

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さて話は最終話に飛ぶ。East Windという名前の人物は会話によって他人の行動を操ることに長けている。5歳の頃からそれができた、というセリフがある。その能力の恐ろしさは最終話を見た人には説明の必要がないと思うし、最終話を見ずに彼女の恐ろしさを説明することはできない。

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昨日第一話の謎についてどういう意見があるのだろう、と検索していてふと思いついた。East Windは人づてに(誰経由かは書かないよ)1話の犯人に

「自分が狙った瓶を取らせる方法。あるいは無害な瓶を選んだとしても、そのあと決心を変更させる方法」

だけを伝授したのではないか?East Windにとってそんなことは朝飯前。そしてその能力の一部だけを伝えることにより、Serial KillerをSherlockの元に送り届けたのではないか。そう考えれば筋が通る。

というわけで、おそらくSherlockがどちらの瓶を選んだかは問題ではなかったのだと思う。犯人の意図は「どちらを取っても、最終的に自分が狙った薬を飲ませる」ことにあったのだ、と。そしてEast Windにとってみればそれはほんの「遠まわしの挨拶」だったに過ぎない。

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全話をとおしてなんども笑わせられたり、驚かされたり、しんみりしたり、「もう見たくない」という気持ちにさせられた。その面白さには脱帽する。

それとともに

日本にこんな面白いドラマがあるのだろうか?とふと考える。あまちゃんおもしろかったし、真田丸も良かった。しかしSherlockのように視聴者を先の見えないジェットコースータにくくりつけるようなドラマは存在するのだろうか?

ひょっとしてだが、IT企業の実力において、日米で顎が外れるほどの差異が生じているように、「面白いドラマを作る」ことに関しても日英(おそらく米でも)でとんでもない差異が生じているのではないか?英語の勉強にこれほどいいものはないと長年信じている私にとっては、海外ドラマがどんどん普及して日本のドラマを隅っこにおいやってくれても全く問題ないのだけどね。