わからないつらさ

2017-09-25 07:08

関東地区に住んでいるといやがおうでも中学受験というものを意識せざるを得ない。塾にしてみれば、少子化が進む中でも少しでも多くの生徒を集め、たくさんお金を払ってもらわなくてはならない。だから有名校にたくさんいれたくなるのはわかる。そして「ひょっとするとこの塾にいれればうちの子供も。。」と思わせるわけだ。

問題は子供のほうである。そりゃ親の思惑はそうだろうけど、そもそも有名校とはほとんどの人がはいれないから有名校なのだ。そして何事にも得意と不得意が存在する。受験勉強もその例外ではないし、その得意度はある程度他の知能と相関しているとはいえ、その相関は(私の観察によれば)それほど強くない。また幸せになれるか、裕福になれるかも受験勉強の得意不得意とそれほど相関しているわけではない。かつて受験勉強が大得意だった私が言うのだから間違いない。

というわけで、この漫画のようなことが起こる。

わからん

引用元:にぎりこぷしのデタラメ育児哲学

この「わからないところがわからない」というのは実につらい。わけのわからない授業で長時間拘束され、そのうえで山のように宿題をだされ、シュプレッヒコールなどかけられた日にはそりゃ誰でも反抗したくもなるわな。

電通に入社し、自殺した女性のニュースを聞くたびその両親の気持ちを思って胸が塞ぐ。おそらく彼女にとって電通での仕事は初めて経験する「わからないがわからない」だったのではなかろうか。

そう考えるとあくまでも「適切に対応されれば」という条件つきだが、柔軟性がある間に「わからないがわからないにどう対処するか」を学んで置くのは良いことでもあるように思う。中学受験を終えた子供が

「俺の人生"なんとかなる"と"なんとかする"でできている」

といってくれた。親としては嬉しい限りだ。