抽象化思考のススメ
2017-10-17 07:30
いろいろな人と話していて、「知性とは抽象化能力のことではないか」と思うことがある。様々な事象から共通するより高い次元の抽象的な概念を導出する力だ。数学が「リンゴが一個、バナナが一本」から1という抽象的な概念を導出し異常な発展を遂げたのと同じように、この抽象化というのは重要であるが、我が国では
「何わけのわかんないこと言ってんだ」
とないがしろにされがちである。先日こんな記事を読んだ。
■クリエイティブとは「ゼロから生み出す」ことではない
■先行研究から次のステージを目指すには「抽象化」が不可欠
■ヨーロッパは研究を積み上げるが、日本は積み上がっていない
■“一貫したスタイル”よりも“蓄積された文化の利用”が先では?
かけてもいいが、この記事を読んだ日本人の95%はそもそも何を言っているかすらわからないと思う。
2016年にCHIという学会のカンファレンスに入った。そこでものすごく抽象的な議論が飛び交うセッションがあった。私の英語力では何を言っているかさっぱりわからなかったし、日本語でもわからないだろう。しかしそうしたセッションが「存在する」ということ自体が大きな意味を持っている。日本ではああしたセッションは「なんでもあり」の人工知能学会全国大会ですら見たことがない。
日本の問題は傑出した才能があってもいつもそれが単発で終わることだ。組織化し、量産することができない。宮崎駿が老いればジブリが終わる。ディズニーは一方顎が外れるような作品を量産している。この差は大きい。なぜディズニーにそれができ日本にできないかといえば、この抽象化し、応用する力が決定的にかけているからではなかろうか。
スポーツ、芸術、アート。それらに対して抽象的な議論ができなければならない。デザインという言葉は「かわいいアイコン」と考えられている節もあるが、本来とっても理論的なものである。だから日本の美大はもうちょっと別の方向を考えるべきではないかと思うのだよね。
なぜこんなことを書いているかといえば、きっと昨日寝不足だったせいだろう。少し朝寝をします。おやすみなさい。