プレゼンテーションの原則その5

2017-10-13 07:14

「プレゼンテーション失敗の法則」という本を書き始めたはいいが、途中でほったらかしていた。しかし12月までにはこれをなんとかAmazon KDPで売りださなくてはならない。プレゼンの最後に<ステマ></ステマ>をして宣伝するのだ。そうしないと大坪くん作家計画が頓挫してしまう。(そんな計画があったのか)

その中で述べている「プレゼンテーションにまつわる原理原則」の中にこういうものがある

「誰も君のことなんか見ていない」

あんたが誰だとか、趣味はなんだとかどうでもいい。そんなことを気にするのは世界であんただけ、俺は面白い話を聞きに来てるんだ。

さて

「街角のクリエイティブ」というサイトがある。なぜ知っているかというとここには田中氏の素晴らしい映画評が掲載されているから。

もう1かい、みてきました。すこし、おちついてきました。ハァハァ。カタカナも思い出してきました。・・・だんだんかんじも書けるようになって来ました。なぜもう1回観たくなったのでしょうか。バカ映画だから? 違います。この映画にはバカのかけらもありません。すべてのカットに、意味がある。完璧です。完璧なMADです。マッドがマックスです。

引用元:マッドマックス 怒りのデス・ロード【連載】田中泰延のエンタメ新党 | 田中泰延 | 街角のクリエイティブ

私も自分のサイトに細々と映画評など書いているが、この人の文章を読むと「格の違い」というものを痛感させられる。ワールドカップブラジル代表と、愛知県立旭丘高校柔道部くらいの差異がある(柔道部がサッカーをしているという前提で)

なのだが

もう一つこのサイトには面白い点がある。このサイトには何人かが文章を書いているのだが、田中氏以外の文章が信じられないほどつまらない。まるで肥溜めの中にダイヤが一つ埋まっているような状態である。なぜつまらないか。ここでようやく話は冒頭に戻る。別の人がこのサイトに書いている映画評の一部を引用する。

おはようございます。シーズン野田と名乗るものです。

妹には「お兄ちゃん」、姪っ子には「叔父ちゃん」、弟には「テメー」、母親には「長男の甚六」、父親には「マイサン」、猫には「ニャー」と呼ばれております。みんなの求めるシーズン野田を演じ続けておりますが、ようやく最近になって人格が崩壊し始めました。もう無理です。

引用元:「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」を観た | シーズン野田 | 街角のクリエイティブ

ちなみに田中氏の映画評も結構前置きが長い。そして面白い。直上の映画評と何が違うか。端的に言えば

「お前がなんて呼ばれてるかとか、人格が崩壊したとかどうでもいい」

ということを理解できていないこと。

そう思ってみると、街角のクリエイティブというサイトに寄稿している人たちの文章はクソのような自己顕示欲に満ちている。というかそれしかない。

そういう意味では、このサイトはとても興味深い勉強の場になっている。文章は他人に読ませるためのものであり(日記は別だが)相手は何を読みたがっているかを想像しなければならない。それができている人できない人でこうも結果が違ってくるか、ということを1箇所で目の当たりにできる。

次の疑問はなぜ人間はそれを忘れてしまうのか、という点。この疑問に関して深く考え出すとまた公開が遅れるので、それは後のことにしてがんばって執筆しよう。でもまだ何か肝心なところがかけているように思うのだよねえ。。