15分やる

2017-10-19 07:29

「15分やるから案をもってこい」とは一部で有名なエピソードである。

いつ来るか分からない15分のために、常に準備をしているのがプロで、来ないかもしれないからと言って準備をしないのがアマチュア。それだけの違いだと思います。

引用元:いつ来るか分からない15分のために常に準備をしているのがプロ、デザイナー奥山清行による「ムーンショット」デザイン幸福論 - GIGAZINE

アイディア出しとかブレストとかいうのもこの類だと思う。どういうことか。つまり普段から
「こうあるべきではないか。これは何かおかしい」
と考え自分なりの提案を考えていなければ15分でアイディアなどでるはずはない(その場で考えたデタラメな思いつきは別だよ)

長いサラリーマン生活を経て発見したことだが、「何か新しいアイディアをだせ」といったとき、本当にアイディアを提示できる人は驚くほど少ない。というかほとんど見たことがない。日常生活を送るにはこのほうがいいのだと思う。余計なことをごちゃごちゃ言わずに、ご機嫌にしているほうが心は間違いなく穏やかになる。
奥山氏だって「あー、あんなデザインの作っちゃったよ。まあいいや。俺の担当じゃないし」と思って昼寝でもしている方が普通はいいはず。彼はたまたまそうした機会に恵まれたからこのエピソードで飯が食えるわけだが、それがなければ「ご苦労さん」でおしまいである。

つまり彼は「常にもっといいものがあるはずだ。俺ならそれができる」と信じ込んでおり、それを形にせずにはいられない人だったのか。彼はそれがプロといっているが「ある種の職業」にとってはそれはプロだが、大企業のサラリーマンではそうした資質はネガティブに働くことが多いことを理解していない。

上司がバカな案を言ったとしよう。そこで「いや、私にはもっといいアイディアがあります」といってしまったらそれはプロではない。上司に「アイディアを出せ」と言われたとき、自分のもっといいアイディアをだしてしまったらそれは日本のサラリーマンとして失格である。「上司様のおっしゃるアイディアが最上と存じます。私のようなものに言えることなぞございません」といい「全く、使えない部下ばかりだ!」という上司の言葉に頭をかくのが「プロ」である。

さて、ここで私は「常に新しいアイディアを考えるといいですよ」ということがいいたいのではない。数ヶ月前某大学で講演した時に、この話をちょっとした(多分学生さんは誰も理解できなかったと思うが)そこで付け加えようとして削った内容があった。

松任谷:だから、曲とか詞を書くっていうのは、もう生活、生理、いっしょだから、食事したり歩いたりすることと。言われる前から書いてるのよ、人が止めようと、勧めようが、勧めまいが。自分の欲求として、もう幼い頃から作っちゃっている。

引用元:歌詞について - 堀越社員ブログ

要するに新しいアイディアをだして、試さずにはいられない、というのは先天的な病気なのだ。このあとあややに対して松任谷氏は

「書いて歌うようになりたいんです、って言っているようだったら、書かない方がいいと思う。」と言っている。

だからこの病気を持っていない人間をいくら集めて講義をやったりブレストやったりしても「改良案」しか出ないと思うんだよね。これもよくある比喩だが新しいものを作る人間というのはダイヤモンド。作ることはできないから見つけるしかない。なぜこのことを大声で主張する人が多くないのかとても不思議だ。

この「病気」は「才能」ではなく「呪い」である。だから上司よりいい案とか出しちゃだめなんだって、と頭でわかっていても顔にでる。それはとてもプロサラリーマンとは言えない。