ギャルゲーをするのだ

2017-10-30 07:19

いい年をして何を言い出したのか、といえば、このゲームである。

スクリーンショット

本作は2017年9月にSteam/itch.io(Windows/Mac)にて無料配信された米国産の恋愛アドベンチャーゲームである(日本語は非対応)。Steamでのユーザレビューは現時点で「圧倒的に好評」。配信から1か月で好評数1万500件以上と絶大な支持を得ていることからも、国産恋愛アドベンチャーの「リスペクト作品」として終わる代物ではないことが窺い知れる。

引用元:Steamにて1万件以上の好評価を集めた無料の恋愛ADV『Doki Doki Literature Club!』紹介(ネタバレなし)。海外開発者が描くお約束の向こう側 | AUTOMATON

そもそもなんでこれをやり始めたか。第一に無料だ。第二に息子の英語の勉強にいいのではないか、と思ったから。何でも面白いと思わないと勉強なんてしない、というのが持論であるから。

さて

日本語であってもギャルゲーとかいうものをやったことはない。しかしやり始めると何か違和感に気がつく。舞台は日本の住宅街と学校。登場人物は日本のその道の典型例と思えるもの。なのにまず発言の内容が違う。面倒そうな文学少女が語る文学論は少なくとも私にはそれっぽく聞こえる。途中で単語を選択して、poemを書く場面がある。聞いたことがない単語を選択するとその文学少女が喜ぶ。辞書を引きながらあれこれプレーする。それに少女たちのしぐさが、いかにも日本のそういうゲームの典型例のように見えながら、どうしようもない違和感が漂っている。もしこれを日本語化してそういうゲームに馴染みのある人にやってもらったらどう考えるんだろうね。

かと思うと

Squid(イカ)がどうとか

Monika(モニカ)あんたの名前にイカがはいってるじゃない。モニ-イカ

そんなの翻訳するとわかんなくなるわよ!

というどうしようもないギャグも入っている。(日本語を理解する人以外はあの部分どうやって解釈しているのだろう)そして途中から「あ、これは地雷だらけだ」と気がつくことになる。

年を取っても人間の本質はあまり変わらない。しかしいくつか変化することもある。若い頃は「見目麗しい異性と接すること」に無条件の憧れを抱いていた。漫画とか映画で「スターとひょっとしたきっかけから付き合う」パターンがよくあるということは、そういう妄想を抱くのは私だけではないのだろう。しかしこの歳になると

「警戒しなければならない。そんな機会はできる限り回避すべきだ」

と思う。

ゲームの途中から見目麗しき少女たちの面倒なところ、恐ろしいところがだんだんあらわになって来る。つまり現実的なわけだ。というわけで確かに息子の教育用にはいいかもしれない。そう提案したら

「俺はホラーはやらない」

とぴしゃっと拒絶された。エンディングは2種類あるらしいのだが、簡単にたどりつけるエンディングは確かに楽しいものではない。それに中学2年生にはちょっと英語が難しすぎる。文学少女のpoemは私にも大半理解できない。

いつの日か彼が自分の意思でこのゲームをプレーするまで放っておこう。