正しいこと
2017-12-20 07:15
SFとか漫画には「未来予知」という能力が時々でてくる。未来が見えるから的中率100%。絶対に正しい。
そんな力があれば、テストで100点とれるのになあと思っていたのは平和な少年時代だ(当時はそう思っていなかったが)最近ようやく悟ったことがある。
「正しいことに意味はない」
例えばこういうことだ。株価が100%の精度で予想できるとしよう。しかしそれだけでは何にもならない。株を買わなければならないのだ。そして
「ひょっとしたら今度は違うかも」
という恐怖と戦い続けなければならない。
サラリーマンなら「正しいことに意味はない」という言葉の意味がわかると思う。採用されるのは正しい意見ではない。リソースを動かす権限をもった人間が考えることだ。嘘だと思うのなら、戦前の日本にタイムスリップして
「アメリカ相手に戦争すると日本は破滅するぞ!」
と叫んで見ればよい。(無理です)
しかし
多分そういう見方は世の中を狭く見すぎている。そう多くはないが、「正しいことに意味がある」世界もあるのだ、と最近考え直すようになった。たとえば将棋。正しい手をさせば勝つ。こちらが中学生だろうが、相手が将棋連盟の会長だろうが、日本国の首相だろうがである。他にもそうした世界がある。数学の世界だ。
引用元:Wired
長年にわたり未解決だった問題ABC予想に証明が与えられたと発表があった。しかし誰もそれを理解できなかった、というニュースを聞いたのはだいぶ前のことである。
私はもちろんその予想の理解すらできない。しかしこの写真を見よう。この異様な風体。しかし数学界においてはそんなことは意味がないことなのだと思う。他者のレビューに耐え、ロジックを組み上げ定理を証明する。それが正しければよい。そりゃ確かに小学生がABC予想を証明しても誰もレビューしてくれないかもしれないけど、ここまでぶっとんだ証明でなく、ポアンカレ予想の証明を小学生が書いて投稿したらちゃんとレビューされたと思うよ。
今日の結論:安易に一般論を導くにはこの世の中は複雑多様すぎる。だから嘆くより先に頭を足を動かそう。