詭弁を学ぼう

2018-01-22 07:26

白を黒といいくるめる。あるいは白を「これは食用に適さない」と話をそらす。詭弁を弄することはとても重要で必要な技能である。

というわけでケーススタディをしよう。今日のお題は「野球離れは巨人一局離れ」

オヤジ系週刊誌やタブロイド紙といった旧メディアで度々語られる“プロ野球離れ”のイメージというのは、“世間の巨人離れ”と同義語だと思う。

引用元:「プロ野球離れ」はどこまで本当か? 伝統のスターシステムの終焉 | VICTORY

つまり終焉を迎えたのは「野球は巨人」であり、野球そのものではない。プロ野球中継が減ったって?それは偏ったものの見方だ。

プロ野球離れと言っても、BSやCS放送、スマホやタブレットの動画配信とそれぞれのライフスタイルに合った方法で観戦できる現在において、テレビ視聴率を軸に野球人気を論じるのは無理がある気がする

引用元:「プロ野球離れ」はどこまで本当か? 伝統のスターシステムの終焉 | VICTORY

それらの「多種多様な視聴方法」を足し合わせても、プロ野球を映像として楽しむ人が激減している。しかしそこは定量的に語らず「多種多様な楽しみ方がある」で誤魔化す。

球場観戦に出掛けるファンは近年増えており、NPB史上で今が最も観客数が多いと言える状況だ。各本拠地の環境も家族連れや女性も安心して楽しめるボールパーク化が進んでいる。

引用元:「プロ野球離れ」はどこまで本当か? 伝統のスターシステムの終焉 | VICTORY

観客動員の数が増えていることは定量的にデータを示す(私はその数も信用してないが)しかし「ボールパーク化」によって家族づれ、女性が増えているという点については概論でしか語らない。

プロ野球離れと言われる一方で、過去最多の観客を集める球場の風景。今後の課題は、いかに“コアなファン”と“ライトユーザー”の間の距離を縮めていくかだと思う。それを実現させた時が、昭和でも平成でもない、新時代のプロ野球の始まりだろう。

引用元:「プロ野球離れ」はどこまで本当か? 伝統のスターシステムの終焉 | VICTORY

でもって最後は「ちょっとの前向きな課題」で締める。こうした技能はとても有益だが、長期的に見ると「問題から目と話をそらしている」だけでなんの解決にもなっていない。先日引用した建設的な批判と比べ、この「幻想に閉じこもる」力は日本人のお家芸でもある。(かといって日本人だけが幻想に閉じこもるわけではない)

「ところが人間は幻想を作り出すことができるから困るの。それを失われた現実の変わりとして作り出してしまうの。現実の変化は、たいていはゆっくりしたものよ ね。老化もそうね。ところが、もし私たちがその変化を隠すために幻想をこしらえはじめると、じき私たちは気づいてみればその幻想を維持するために全エネルギーを費やしていた、ということになるの。(中略)

で危機をいっそう悪化させるのは、われわれが現状維持のために注ぎ込むエネルギーだ、というわけね。

そのとおり、それを私の「最後の悟り」と呼ぶといいかもしれないわね。

変化を食い止めたり和らげたりしようとして幻想を作り出すと、変化はますます起こりやすく、また受け入れにくくなるものだ。」

引用元:G.M.ワインバーグ著:コンサルタントの秘密P164 via 失敗の本質の一部

今の子供は野球のルールを知らない。結果として誰も野球を見ない。このような状況で「野球防衛軍」の最後の心のよりどころは東京オリンピックではなかろうか。

そもそも日本と韓国以外真面目に選手を派遣する国があるかどうかもわからない状態だが、仮にそこで「野球」が「ベースボール」に完敗した場合大本営は何を発表してくれるのだろう。今から楽しみだ。