シンギュラリティ=宗教
2018-04-17 07:18
免責事項:以下の内容は、私が雇用契約を結んでいる企業の見解とはなんの縁もゆかりもなく、極めて個人的な感想というか寝言であることを可能な限り強力に主張します。
宗教の功罪とか、そもそも宗教とはなんだとかまあいろいろややこしい議論が存在する。でもってこんな議論があるのだそうな。
なぜシンギュラリティは宗教であると考えるのか説明しよう。インターネット上で見かけた、なぜシンギュラリティは宗教ではないのかという10件の主張に対して、反論を提示したい。
人間は何かというと宗教をでっちあげる。得体のしれないスーパーマーケットに孤立した人々は、怪しげな女性の「御宣託」に救いを見出していた。(映画「ミスト」の内容だが)疑似科学に対する信仰と同じく、シンギュラリティを信じる人との議論は不毛に終わることが多い。議論をするとは、相手の言った内容を理解し、それに対して自分の反論を組み立てることである。「自分は正しく、それと異なるものは間違っている」という信念が前提にあると議論は成立しない。
多くのシンギュラリタリアンは現実の科学研究にさほど興味を持っていないように見えることだ*8 - たとえば、査読付き論文誌に論文を投稿するなど。シンギュラリタリアンの研究プログラムなどというものは、標準的には学術的にも商業的にも存在していない。
というかそのうち「シンギュラリティ」という論文誌でもできるのではないだろうか。でもってそこだけに論文を投稿する「教授」ができあがる、と。これも疑似科学のお決まりパターンだな。
となると、私にとってシンギュラリティとは疑似科学の一分野ということになり、その研究はだいぶ前に飽きてしまった、ということになる。ここらで何か一発旧来の疑似科学にはなかった画期的な主張を出して欲しいものだが、疑似科学の定義により、それはあり得ない。疑似科学というのは「自分だけが正しく、反対するものは全て間違っている」という強固な前提があるが故に、積み重ねが効かない。だからハタからみると「またこのパターンか」というものを「世界初の画期的な主張」と楽しく繰り返すことができる。
ふぁあ。(あくび)