R.Brooksの講演
2018-07-30 07:04
Rodoney Brooksという人がいる。彼が東大でやった講演を聞いたのは10年以上前のことだな。その時、知能には身体性が必要ではないかという議論、それに創生という考え方にふれ衝撃を受けた。
その彼がまたALIFEというカンファレンスで講演をするという。これはいかなくては、というわけで潜り込んだ。一旦コーヒーをとると公演会場に向かう。すると前にシャツが汗ではりついた白人男性が
"いや、会場とおりすぎちゃったよ”
とかいいながら歩いている。彼がBrooksであった。
彼は私の中ではイニエスタ以上のスーパースターなのだが、誰もサインをねだったりせず、ふらふら歩いていた。講演の導入部分は、彼がこれまで(および現在も)手がけているRobotの話ここは面白かったが省略する。特に面白かったのは後半のAI,人工生命に関する研究についての話。
・今のAI研究はReducitionism(還元主義)Matelial(物質化?)
を暗黙のうちに仮定しているのではないか?つまり複雑な物事を理解するのにそれらの個別の要素だけを理解すれば全体の理解ができると思っていないだろうか?対象をなんとなく物質のメタファーで考えることができると思っていないだろうか?
・物理ではどうだろう?光は波動と粒子の2面性を持っている。ここでは光を物質のようなもののメタファーとみることが破綻していないだろうか?つまり物理学者はメタファーの犠牲者ではないだろうか。
・コンピュータではどうだろう?例えばC言語の構造体と聞けば、人はなんとなく「箱のようなものがあり、そこに値が格納される」と考える。しかしそれは正しいメタファーだろうか?X86CPUの中では、投機的実行のためにコピーがいくつも作られている。またレベルの異なるキャッシュもありそこにもデータが存在する。となると、人間が「構造体」と聞いて想像するような「データをまとめたもの」は果たして存在するのだろうか?
・果たしてComputation:計算は事物をシミューレトしたり解析するのに十分といえるだろうか?量子力学をComputationによってモデル化することはできるのだろうか?
・ウミウシ?にはニューロンが2000しかない。そして他の個体に脳を移植することができる。ところが元の個体と間違った方向に移植したときも3日たつとちゃんと元どおりに行動するようになる。そう考えると脳が行なっている情報処理とCPUの情報処理は全く異なるのではないだろうか?(CPUのソケットを反対方向に差し込んで動くなどということはない)
・ムーアの法則は「よりグレードの高いコカイン(麻薬)」ではないのか?CPUの処理能力が上がれば、高度な情報処理が可能だという考えで情報処理は発展してきた。CPUが頭打ちになるとGPUを使うなど。しかしそれはコカインで本当の問題をごまかしているだけではないか?
・知能を考えるにはまだ見つかっていない要素が必要なのでは?(講演中その要素を"Juice”といっていたような気がする)
・興味深い論文がある。"Could a Neuroscientist understand a
microprocessor?"という題名。パックマン、スペースインベーダなどのゲームを走らせ、CPUの一部を壊した時にどれが動かなくなるか調べた。ある部分を壊したときにパックマンが動かなくなったときに「この部位はパックマンを司っている」などということができるだろうか?今神経科学者が脳を調べているのは、これと大同小異ではないだろうか?
この問いかけに対して、会場からは議論が沸騰した。非常に抽象度の高い議論で理解が追いつかないのが口惜しいところ。こうした抽象的な概念に対する活発な議論というのは日本の学会(あるいは日本社会もそうか)ではあまり見かけない気がする。
シンギュラリティに関する素朴な見方として「計算機の能力が人間を凌駕するとき、大きな変革が起こる」というものがある。今回のBrooksの議論はそれに挑むものと見ることもできる。未だ見つかっていない"Juice"を解明しないことには、計算機の処理能力をあげても、問題は解決しないのではないか?と問いかけている。
・今のAI研究はReducitionism(還元主義)Matelial(物質化?)
を暗黙のうちに仮定しているのではないか?つまり複雑な物事を理解するのにそれらの個別の要素だけを理解すれば全体の理解ができると思っていないだろうか?対象をなんとなく物質のメタファーで考えることができると思っていないだろうか?
・物理ではどうだろう?光は波動と粒子の2面性を持っている。ここでは光を物質のようなもののメタファーとみることが破綻していないだろうか?つまり物理学者はメタファーの犠牲者ではないだろうか。
・コンピュータではどうだろう?例えばC言語の構造体と聞けば、人はなんとなく「箱のようなものがあり、そこに値が格納される」と考える。しかしそれは正しいメタファーだろうか?X86CPUの中では、投機的実行のためにコピーがいくつも作られている。またレベルの異なるキャッシュもありそこにもデータが存在する。となると、人間が「構造体」と聞いて想像するような「データをまとめたもの」は果たして存在するのだろうか?
・果たしてComputation:計算は事物をシミューレトしたり解析するのに十分といえるだろうか?量子力学をComputationによってモデル化することはできるのだろうか?
・ウミウシ?にはニューロンが2000しかない。そして他の個体に脳を移植することができる。ところが元の個体と間違った方向に移植したときも3日たつとちゃんと元どおりに行動するようになる。そう考えると脳が行なっている情報処理とCPUの情報処理は全く異なるのではないだろうか?(CPUのソケットを反対方向に差し込んで動くなどということはない)
・ムーアの法則は「よりグレードの高いコカイン(麻薬)」ではないのか?CPUの処理能力が上がれば、高度な情報処理が可能だという考えで情報処理は発展してきた。CPUが頭打ちになるとGPUを使うなど。しかしそれはコカインで本当の問題をごまかしているだけではないか?
・知能を考えるにはまだ見つかっていない要素が必要なのでは?(講演中その要素を"Juice”といっていたような気がする)
・興味深い論文がある。"Could a Neuroscientist understand a
microprocessor?"という題名。パックマン、スペースインベーダなどのゲームを走らせ、CPUの一部を壊した時にどれが動かなくなるか調べた。ある部分を壊したときにパックマンが動かなくなったときに「この部位はパックマンを司っている」などということができるだろうか?今神経科学者が脳を調べているのは、これと大同小異ではないだろうか?
この問いかけに対して、会場からは議論が沸騰した。非常に抽象度の高い議論で理解が追いつかないのが口惜しいところ。こうした抽象的な概念に対する活発な議論というのは日本の学会(あるいは日本社会もそうか)ではあまり見かけない気がする。
シンギュラリティに関する素朴な見方として「計算機の能力が人間を凌駕するとき、大きな変革が起こる」というものがある。今回のBrooksの議論はそれに挑むものと見ることもできる。未だ見つかっていない"Juice"を解明しないことには、計算機の処理能力をあげても、問題は解決しないのではないか?と問いかけている。
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今アシモフのエッセイ集を読んでいる。その中に「人間はいつ生命の合成に成功するのか」という問いに対して何人かの科学者が答えた結果が引用されていた。私が子供の頃に読んだ科学のなんたら漫画には
「原始海洋の成分に放電を加えたところ、たんぱく質ができた」
とかそんな内容が書いてあった。なるほど。生命の合成はもうすぐね、と子供心に思ったし、アシモフのエッセイもそんな調子で書かれている。しかし今だに人間は生命の合成に成功していない(異論もあるだろうが)それどころか「人工知能」の作成にも成功していない。Brooksが投げかけた「象はチェスを指さない」という問いかけは、そのままの形で残っている。
これに触発されて、調べてみるといろいろな人がいろいろなことを言っているようだ。ロジャー・ペンローズとかホーキングの本に出て来た人がここにも出てくる。
一つだけ確かなのは、人が生命、知能を作り出すことについてはまだまだ超えなくてはならないハードルがたくさんあること。それどころか、いくつハードルがあるかわからない状態だということ。「ブルックスのジュース」とはいったいなんなんだろうね。いや、今回もおもしろかった。