この人はどういう人だろう

2018-07-13 07:04

というわけで、昨日気になったこの記事

日本人の特性として
そもそも他人を見定める能力がないと感じる
があるのがわかる。各国の人たちは8割方「自分は信用できる人かどうかだいたい分かる」と回答するのに、日本人は4割もいない。

引用元:平成30年版情報通信白書による、日本人はソーシャル全然利用してないの図とその理由 | More Access! More Fun!

ドキュメンタリーしか読まない私だが、日本発祥のものと、欧米で書かれたものの間には「どちらかにしか登場しない記述」というのが存在していると思っている。初対面の相手を

「この人はどういう人だろう」

と見定める場面は欧米で書かれたものに多いように思う。最近愛読しているリーマンショック・コンフィデンシャルでもそうだし、第2次大戦末期に行われた空挺作戦を描いた「遠すぎた橋」でもそういう場面がでてくる。

「ハンニバル」では「この人をいつか見下すことができるだろう、という幸せな予感」という言葉があったように思うがあれも最初に相手を見定めるところから来ていたのだろうな。

自分を省みて思うのが、対人関係で全面肯定か、全面否定に傾くことが多い。ひょっとするとこれは私だけでなく日本人全体に通じることではないかと思っている。先輩だから年長者だから無条件に敬語を使うところと何か関係があるのかな。

こうした「他人との距離の取り方」については、おそらく我が国の人の多くは他の国から学ぶ必要がある。

でもこれは「悪い」と言っているのではなく「バリエーションを増やすべきだ」といっているのだよ。こういうものの見方もあると思うから。

他の生き物に対してとる、日本人の、
この、なんともゆるい愛情表現。

この、とてもじゃないが英雄は生まない、
なんとも甘やかしてしまう楽ちんな風土。

この心情的に呑気な風土と、
日本のという辺境の地に現れた、
気候温暖で清涼な水にあふれた風土との間に、
大きな関係性があるように思うのであります。

つまり、

烏合の衆、という、頼りにならない連中を創出する風土。

けして英雄を生まない風土。

呑気にかまえ、油断する、ちっちぇーやつらの故郷。

それが日本だと。
私は、思うのであります。

引用元:2012年5月15日(火) - 水曜どうでしょうD陣日記アーカイブ