俺は偉いんだ
2018-09-18 07:22
先日こんな記事を目にした。
会社はおっさんが定年退職するときに、半年くらい「今までの会社での肩書は世間では知られておらず、自宅や会社で払われてきた敬意に似たものや優遇措置は特にこの先、自宅の外では発生しない」みたいな研修をしてから世に放つべきなんだよな。なお重役の入院に際しても似たような研修が必要だと思う
引用元:会社は定年退職や重役が入院するときに「今までの会社での肩書は世間では知られておらず~」という研修をしてから世に放つべき→すでに行っている会社もある - Togetter
私に自慢できるような肩書きがつくことはあり得ないので、こういう件に関しては徹底的に人ごととしてコメントできる。
しかし
人間は悲しいほどに愚かだということも知っている。ナチス第三帝国華やかなりし頃、パレードに同行した記者がいたのだそうな。沿道から浴びせられる熱狂的な声援を聞いているうち自分が身長3mの巨人のような錯覚に陥ったと書いていた。
それが自分に向けられたものではない、と明白に認識していてこれである。人間は自分が褒められたり賞賛されることに貪欲だが、その事象に対してとても弱い。
デンソーでは毎年4月に「新製品展示会」なる催しが行われる。そこにトヨタの役員様(彼らにとっては神様だ)が来ると、専属の人間がずっとつきしたがい、何を発言したかをこと細かいに記録する。それはまるで神の言葉を聞き漏らすまいとする熱心な信者のよう。
その話を父にしたところ(父も電力会社でえらくなった人だから同じような待遇にあったことがあるのだろう)
「そうやって偉い人扱いされてもな、家に帰る途中でスーパーで買い物してこいと命令されたりするんだよ」
この「偉い人扱いされた帰り道で、スーパーの買い物を命ぜられる」というのは大変良いことだと思う。人間はそれほど弱く、愚かだから、果てしない愚昧化を防ぐためなんらかの仕掛けを用意しておく必要があるのだ。
お年寄りにパソコンの使い方を教えるボランティアで、一番厄介なのがこの類の人だった。人の話を聞くより
「自分が過去にいかに偉い人だった」
を語るおじいさんは教えようがなかった。ただ彼らはそうやって本当に幸せだったのだろうか。過去について語るより、パソコンの使い方を学んで楽しくやったほうがいい、と頭のどこかで気が付いていたのではないだろうか。そんなことをふと考える。