ユーモアのセンスの欠如
2018-10-09 07:19
ユーモアのセンスの必要性について度々語っている。つまり私にはユーモアのセンスが欠如しているということである。
先日(またもや)こんな記事を見つけた。
しかし、多くのユーザーが感じているように近い将来iPhoneはたいして売れなくなる。アジア地域での伸長の余地はまだあるが、Windowsマシンに対するMacのように、iPhoneが低価格で高性能なスマートフォンに置き換えられることは容易に想像できる。乱暴にいうと、iPhoneでできることは、Androidでもできるのだ。
(中略)
そのうえで「ジョブズがいたらこうはならなかった」と想像するのも楽しいのだが。
引用元:【スティーブ・ジョブズ氏追悼】iPhoneはもうすぐ日本で売れなくなる、アップルはどうするのか?
今は2018年なのだが、今時こんな「WindowsとMacのシェア争いの再現だー」という言説を見るとは思わなかった、と私は真面目に反応してしまう。
しかしこういう「ジョブスが生きていれば」という幸せな人に真面目に取り合うのは間違っている。
2番目に多かった「故人に会った」経験では、「亡くなった知り合いから『まだ来る場所ではない。帰りなさい』と諭された」という内容が最も多かった。しかし、実際に会った人物としては「ジョブズ」が群を抜いて多く、「家族」「ペット」「友人」といった身近な人物を合わせた数をも上回った。
「ジョブズ」とはiPhone(アイフォーン)の生みの親として知られるアップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏。毎年秋になると「あの世でジョブズが激怒している」「天国でジョブズが嘆いている」など、生前ですら会ったことのない人物にあたかも実際に会って話を聞いたかのような書き込みが急増する傾向があるという。
まず第一に「この人の書く記事は読む価値がない」と学び、そして笑い飛ばして仕舞えばいいのだ。こう考えると私にはやはりユーモアのセンスが欠乏している。
個人的には「ジョブンスが死んでから云々」という人は、「ああ、なるほど。この人はこういう人ね」と学ぶ材料を提供してもらえるので助かる。しかし是非これくらいの笑いのセンスを相手に面と向かって発揮したいものだ。それにはまだ私には余裕がたりない。