瞑想時に起こることに関する仮説

2019-03-29 07:00

マインドフルネスとか仏教とかキリスト教とか、あれこれ調査すると大変面白い。なんども書いているが、私は宗教を観察することに興味があるが、信仰する気は毛頭ない。というか調べれば調べるほど信仰は難しいよね。仏教といってもとってもいろいろだし。聖書って無茶苦茶なことが書いてあるし。

さて

きっかけはなんでもいいのだが瞑想をしていると、世界の区別がなくなって全体がドカーンと一体化して感じられる、という話がある。大乗仏教はそれを悟りと考え、ブッダは「これはだめだよね」と捨てた(という解釈がある)

それとは関係ない話で「ゲシュタルト崩壊」というものがある。何の気なしに読み書きしている文字でも、何十回とかいたり、あるいは三十秒以上見つめているとそれがなんなのかわからなくなる、という現象だ。Wikipediaの記述を信じれば原因はよくわかっていないらしい。

というわけで昨日ふと思いついた。

瞑想時に感じる「全体ドカーン」とはゲシュタルト崩壊がより広い範囲に発生していることではないのか?

文字をずっと見ているとそれがなんだかわからなくなる。瞑想をして同じ風景をずっとみているとそれがなんだかわからなくなる、とかね。

あと

「ずっとみているとわからなくなる」ということは、文字とかの認識って「ずっとみないで、流し見する」ことを前提として成り立っているのでなかろうか、と。ほら、エイリアンがでてくる映画でよくあるでしょう。動いているものしか認識できないエイリアンって。実は人間はあれと同じではなかろうか、と。だから目は意識せずともちょこまかちょこまか動いてるんだ。

そう考えると

今人工知能とかコンピュータービジョンでやろうとしていることって、こういう性質をもっていないよね。となると実は別のパスが存在しているんじゃなかろうか。多分そう主張してもうやっている人はいるだろうけど。