私は大丈夫

2019-04-19 07:30

多くの人に「私だけは大丈夫」という理不尽な確信があるように思う。なぜこんなことを書き出したかというとこの文章。

《朝起きてしばらくしてから、視野の右上方向の約三分の一ほどが見えにくい。右目も左目も見え方は、同じ。ちょっと困っている。
近いうちに何らかの検査をせねばならないかもしれない。》
 というツイートを書き込んだ(※見えにくいのは視界の左上方向でした)。
(中略)

 特に、医師や病院勤務のアカウントが的確(つまりわりと深刻)なアドバイスを送ってきてくれた。

 「身内ならすぐに救急車を呼びます」
 「いまこの場で、すべてをなげうって直近の病院に行ってください」
 「なるべく早く検査を受けてください。最悪、脳出血か脳梗塞の疑いがあります」

引用元:「不毛な困惑」が招いた空白の6時間:日経ビジネス電子版

自分の異変について、専門家から雨あられと「適切な助言」があびせられる。日頃から「私は世の中の間違ったことに気がつき、鋭く指摘しているんだ」と自認している(としか思えない)この著者はどう反応したか。

ちなみに、決断を遅らせるべく私が自分を説得するために用意していた言い訳は、「当日のキャンセルでラジオの現場を混乱させてはいけない」という絵に描いたような建前論だった。
(中略)
 当日、私がわりと落ち着いているように見えたのは、私が状況を冷静に判断できていたからではない。

 どちらかといえば、

 「オタオタしたくない」
 「沈着でありたい」
 という虚栄心(あるいはこの感情の正体は、私が日頃から軽蔑してやまずにいる「マッチョイズム」それ自体だったのかもしれない)に従ったリアクションだった。

引用元:「不毛な困惑」が招いた空白の6時間 (2ページ目):日経ビジネス電子版

この言葉を読んでいると、昨年なくなった父を思い出す。最近知ったことだが、父は末期ガンと診断される以前から自分の異変に気がついていた。しかしこの筆者と同じように「まあもう少し様子を見よう」と虚栄心をはっていた。そして人間は理由が大好きだから、「ラジオの仕事があるから」とどうでもいい理由をでっちあげる。

この人は、政治や世の中の動きに対して鋭く批判することで日々の糧を得てる人のようだ。もしなんらかの自然災害に対して政府の初動が6時間遅れれば、喜んでその愚かさを指摘するだろう。なのにそれよりも大事であり切迫している自分の脳梗塞は愚にもつかない理由で6時間ほったらかしにする。

つまりここで問題なのは「無知」ではなく、十分に知識がありながらも信じられないほど愚かな判断をしてしまう人間の脳みそということになる。

人間の心というのは一枚岩ではない。頭の中に多数のモジュールと呼ばれるいくつもの「性格」が存在しており、それが時々妙なことをやる。「意識」というのは優勢になったモジュール=バカな発言を繰り返す大統領の尻拭いをさせられる哀れな広報官のようなものだ、というのは最近知った学説である。私の直感にはぴったりくる。

そしてどうやら人間の頭の中では本当の危機に瀕した時「まあそんなひどいことになならないだろう。もう少し様子を見よう」というモジュールが優勢になるようなのだ。「自意識=哀れな広報官」が少しでも働いていれば、それがとんでもなく愚かな行為だと気がつくはずなのに。

こうした事象は私の父や、この文章の筆者に限ったことではないと信じたい。私も思い当たる節は山のようにあるし、絵に描いたような詐欺、詐欺とまでいかないまでも悪い男、悪い女に引っかかる人が後をたたないのは

「よくわかっている。でも自分だけは大丈夫」

という危機に発動してしまうモジュールのせいではなかろうか。

おそらくこういう脳の動きは抑えることができない。だから私も日々信じられないような愚かな決断を繰り返している。それを防ぐには、どうやらなんらかの仕組みを作らなければならない、と遅まきながら気がついたところである。さて、それはどんな仕組みだろう。