正しさの誤謬
2019-05-20 07:52
「正しい道を歩く」ことと「正しく道を歩く」ことは違うのだが、我々は不愉快なほどしばしばそれらを混同する。
「悪い方が良い」原則をご存じだろうか? 私はニュージャージー式「悪い方が良い」原則の信奉者だ。以前参加したあるスマホゲームの開発プロジェクトでその意を改めて強くした。今回はその話をしたい。
引用元:テスト駆動開発とマイクロサービスのせいで短命に終わったスマホゲームの話(6ページ目) | 日経 xTECH(クロステック)
引用元となった記事は今は読めないが、書いてあったことは「ものすごくただしいバグが入り込みにくいプログラム開発でゲームを作ったら、クソゲーができた」というお話。
つまりそのプロジェクトは「道を正しく歩く」ことに関しては満点だったが、「正しい道を歩く」ことに関して0点だったというわけ。
社員の就業規則とかもそれにあたるのではないかと思うのだ。絶対遅刻しない、定められた休憩時間以外は一心不乱に働く。それは悪いことではないが、全く仕事の役に立たない人というのはどこの会社でもいるだろう。
毎朝毎晩神とか仏への祈りを欠かさないが、間違ったことばかりやって周りにも何よりも自分へ迷惑をかけているひともいるだろう。
なぜ人間はこういう混同をしてしまうのか。正しく道を歩んでいるから正しい目的地に到達できると思ってしまうのか。この混同にはいくつか深い意味があるかもしれないし、ないかもしれない。