テロは防げない
2019-07-30 08:21
京都アニメーションに対する恐ろしい犯罪について考えると、沈痛な気持ちになる。
理由はこの恐ろしい犯罪に理由がないからだ。たとえば、今回の放火犯が長年京都アニメーションと何かの理由で(一方的ではないもので)争っていたとしたら、「なるほど。そういう争いはこうした悲劇につながるのか」と考えることができる。例えば京都アニメーション制作のアニメにイスラム原理主義者を怒らせるような表現があり、イスラム原理主義者が今度のテロを起こしたとしたら「なるほど、イスラム原理主義とは恐ろしいものだ」と考えることができる。歩行困難な高齢者が起こした自動車事故であれば「高齢者は免許を返納すべきだ」と言うことができる。
しかし現在までに判明した限りでは、今回の犯人の動機は全くいわれのないものである。しかもその手段として使われたガソリンは誰もが購入でき、その効果は今回しれた通りである。
ガソリンを悪用する事件は後を絶たず、そのたびに対策が検討されてきた。2003年9月に名古屋市東区でオフィスビルが爆発し、3人が死亡した事件では、ビルに立てこもった男が大量のガソリンを現場に持ち込んでいた。
事件を受け、警察庁はGSの業界団体に、不審者がガソリンを購入しようとした場合、直ちに通報するよう要請。消防庁も事業者に販売容器や量に関する法令順守を求めた。
テロは理由なく発生し、しかも防ぐ手立てがない。先日発生したバス待ち小学生に対する殺人もそうだった。私のように第3者の位置にいる人間にとってこの現実はとても気が滅入るものだ。
進化上どういう利点があったか知らないが、我々は理由に心の慰めを見出すことがある。逆に考えれば、そうした慰めは幻影に過ぎないと考えるべきなのだろうか。